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マンデーンを読むにあたって

国家開始図(始原図)とは なにか

国家開始図(始原図)とは なにか

 始原図とは、占星術では国家の出生図(誕生図)のことを言っているようですが、聞きなれない言葉です。それは国家の体制が新たになった時点(誕生も含む)の星の配置図を意味していますので、記事内では以後、これを国家開始図と記載します。占星術のマンデーンにおいて「国家開始図」は重要です。始原図というわかりにくい言葉が好みの方は、「開始図」を始原図と言い換えてお読みください。
 
 まずはじめに、占星術において重要なデータは、出生図(ネイタル)と、運行図(トランジット)です。出生(ネイタル)は、現代の占星術においてもっとも重要であるといってよいでしょう。つまり出生時の瞬間の星の配置です。もう1つの重要なデータは運行(トランジット)で、現在、天空を運行している星の位置です。
 
 この2つ、ネイタル(出生)と運行(トランジット)のどちらが重要ですか?と質問されれば、多くの人が、ネイタル(出生)と答えるのではないでしょうか。
 ですが、古代における占星術(注・紀元1000年頃まで)において重要なのは運行(トランジット)であったと考えるべきです。天空を刻々と動いていく星々が、地上の出来事をひきおこす。満月の夕方と明け方には、大潮となる。半月の前後には、潮の満ち干はあまりない。太陽が昇る直前に、明るく輝く白い星がみえたら、洪水がやってくる、太陽が地上を照らしている時間が短くなれば冬がやってくる、といったように。天空の星の動きが、地上の出来事をひきおこす。だから、天を眺めていれば、地上に起こる出来事を知ることができる。これが照応論(コレスポンデンス)です。地上に起こる厄災、あるいは作物の実り具合を知るために、人々は天空を見上げ、そして、季節の移り変わりを知りました。といっても、古代において占っていたのは地上に起こる出来事です。これがいわゆるマンデーンと呼ばれているもので、これが今日、一般的に「社会占星術」と呼ばれているジャンルに相当します。戦争は?株価は?そして災害の予兆について知りたいと考える人たちが探し求める占星術ジャンルが「社会占星術」(マンデーン)ですが、古代のマンデーンでは、運行(トランジット)が重要でした。運行(トランジット)こそが、地上の運命の予兆であったからです。
 
 が、いつの頃からか、出生時の星の配置(マクロコスモス)が、個々の魂(ミクロコスモス)に対応し、個人の運命を告げると考えられるようになります。個人の出生時の星の配置、ネイタルには、生まれ持った運命の種子が含まれているとします。生まれ持っていない種子は発芽しません。占星術において、出生(ネイタル)が与えた運命の種子が重要であると考えられるのはこのためです。
 ミクロコスモスとはすなわち、ネイタルの星の配置であり、トランジットの星の動きと対応して個々の運命が影響されて動いていく。この考え方が、現在の占星術のベースになっています。しかしそこで占うのは、世の中の動向ではなく、個人の運命です。
 さらには、人だけではなく、この世に生まれた物にはすべて、その誕生の瞬間の星の配置に、運命を知る手掛かりが隠されていると考えるようになっていきます。たとえば船。新しく作った船が、進水式を行う瞬間が、船の誕生。橋なら、渡り初めの瞬間の星の配置が、橋の運命を告げる手掛かりになります。ついにそれは、国家にまで拡大されます。
 
 たとえばアメリカ合衆国独立宣言。イギリス領であった北アメリカの13植民地が連合して本国から独立し、共和制の新国家を設立、その独立宣言の1776年7月4日がアメリカ合衆国の誕生日とみなされるようになります。そして、アメリカ合衆国のミクロコスモスに1776年7月4日の星の輝きを宿し、運行(トランジット)の星の動きに対応しながら、国家の運命が動いていくとしました。
 
 といっても、アメリカ合衆国のケースはやや特殊というべきでしょう。古代において新たな国が始まる時、それは王朝の始まりを意味しました。国(王朝)の運命は王(国家元首)の運命ということになるため、王の誕生時の星の配置を用いて国家の運命を占う場合も多くありました。世代交代がなされれば、新たな王の誕生時の星の配置を用いるのです。しかし、共和制であるアメリカには王はいません。というわけで、アメリカ合衆国は、独立宣言の1776年7月4日(時刻に関しては諸説あり)を国家のはじまりとして、国の命運を占うことになるわけです。
 
 しかし実際にはアメリカ合衆国のケースのように簡単な話ばかりではありません。
 フランスのケースを考えてみます。フランス第一共和制は、ブルボン王政打倒ののち、国民公会によって王政廃止が宣言された1792年9月21日からはじまります。つまり、1792年9月21日からのフランス共和国の運命は、1792年9月21日の星の配置をネイタルとして考えます。(バスチーユ襲撃の瞬間が重要だろう、というような異説も当然あるでしょうが、革命の瞬間ではなく、権力が定まった王政廃止宣言の瞬間を重視します。)
 1804年12月2日、ナポレオンが皇帝に即位し、フランスは帝政に移行します。フランス帝国の運命は、1802年12月2日をネイタルとして考えます。いや、帝政だからナポレオン・ボナパルトの出生月日1769年8月15日を使用すると考える人も当然いるのでしょうが、ナポレオン・ボナパルトは生まれながらの皇帝ではありませんので、即位の日付を重視すべきでしょう。
 なお、現在のフランスは第五共和制。1958年10月4日にシャルル・ド=ゴール将軍が第四共和制を打倒して打ち立てたフランスの共和政体です。このあたり興味のある方はホロスコープを作成してみてください。
 
 いやいや、フランスはフランスだろう、ブルボン王朝だろうが共和制だろうが帝政だろうがフランス!と考えるなら、フランスと名付けられた時まで遡って考えます。すなわちフランス王国の成立、ユーグ・カペーが西フランク王に即位した987年7月3日。ちょっと待て、王国なのだからユーグ・カペー王の出生時の星の配置を重視すべきなのではないか、という考え方は当然ありますが、ユーグ・カペー王の誕生日は不明ですので、即位の年月日を採用するしかありません。→ユーグ・カペーの即位 987年7月3日(注・ユリウス暦)
 
 国の運命を占うために国のネイタルホロスコープを作成する。しかしこの場合、アメリカ合衆国のように、独立宣言の日時でホロスコープを作成できる例ばかりではない、ということがおわかりいただけたでしょうか。
 
 では、日本について考えてみます。日本の始まりはいつなのか? 『日本書紀』では、大和国橿原宮で神武天皇が即位した時が日本のはじまり、それは「辛酉年春正月庚辰朔」とします。辛酉の年の正月朔で、日干支は庚辰という条件で探していくと、それは推古9年(601年)の辛酉年から遡ること1260年前の辛酉年となり、その年の正月朔の日干支が庚辰であると、平安時代の文章博士の三善清行が主張しました。
 その説がそのまま受け継がれ、神武天皇即位は紀元前660年正月朔、それを太陽暦(グレゴリオ暦のことかと思いますが)に直したら2月11日になったので、2月11日が紀元節(建国記念日)ということになったわけです。
 では、日本開始図は紀元前660年2月11日・・・と早まるのは待って。神話の時代の言い伝えから推測で作成した国家開始図を用いるかどうかについては微妙なところです。歴史の古い国ほど、同様の問題を抱えています。が、古代からずっと政治の仕組みが変わらない国家はないので、そういう意味では、伝説の国家開始日にこだわる必要もないのかな、とは思いますが。(この問題については別記事に記載しました。)
 
 さて、ここで、国家とはなにか、を考えてみます。領土、人民、権力の3つがあって国家です。これが国家の三要素で、19世紀のドイツの法学者イェリネックが提唱したもの。それを意識しながら、マンデーンを考えていきます。
 
 占星術において、近代もしくは現代の日本開始図に用いられているデータはいくつか存在します。
 1つは1889年2月11日、大日本帝国憲法発布時、これは明治時代からはじまった大日本帝国の運命を知るために用いられます。もう1つは1946年10月7日、日本国憲法が可決された日時で、こちらは、戦後の新たな日本の国家開始図として多くの方が用いています。
 
 1889年2月11日、大日本帝国憲法発布時を近代日本のはじまりとするという考え方です。が、1889年といったら明治22年。道行く人々には洋装が目立ち、蒸気機関車が走り、通りにはガス灯、新皇居に鹿鳴館。牛乳が配達され、「あいすくりん」が人気になり、森鴎外がドイツ留学から戻ってきた年です。すでに、近代国家「大日本帝国」はスタートし、機能していました。
 領土、人民、権力の3つがあれば国家です。憲法があるかどうかは国家の必須条件には関係しません。「朕が法」というような横暴な国家であったとしても、国家は国家です。となれば、新たな日本の開始図として大日本帝国憲法発布時を重視する理由が私には理解できません。
 憲法発布時を占星術家が重視するのは、『社会占星学』(著:訪星珠)の影響かしらと思います。先日、社団法人日本占術協会を訪ねる機会がありました。飯田橋の日本占術協会の事務所はかつて訪星珠さんがいらしたところです。ご本人にお目にかかったことはありませんが、お噂は伺っていました。その『社会占星学』の中に「個人の出生時間に相当する国家誕生の基点は次のようにして決められます。1 独立を宣言した時間。2 新しい政権が誕生した時間。3 憲法が議会で可決承認された時間。」(社会占星学:訪星珠より引用)とあります。
 『社会占星学』は、占星術家に与えた影響力の大きな書籍でしたので、なるほど、占星術家がこの書籍に記載された内容に従うのは無理もないとは思いました。が、日本の場合はアメリカ及びヨーロッパの事例とは異なっています。訪星珠さんがご存命であるうちに、このようなお話ができる機会をなんとしてでも作るべきでしたが、残念ながらすでにそれは叶いません。ですので以下、私の考えを述べてみます。
 
 「1 国家が独立した時間」については、まさにそのとおりです。
 代表的な例がすでに説明したアメリカ合衆国です。あるいは蝦夷共和国(えぞきょうわこく)。幕末に榎本武揚が蝦夷地に樹立しようとした国家です。旧幕臣を蝦夷地に入植させ、農林漁業や鉱業などを興し、ロシア帝国の南下に対する北方警備につかせることを想定していたようで、独立記念日は1868年旧暦12月15日(グレゴリオ暦1869年1月27日)。蝦夷共和国の独立宣言後には役職が決定され、税の取り立てなども行っていたようですが、日本は蝦夷共和国を認めたわけではなく、国家として機能することはなく、解体してしまいます。蝦夷共和国の国民(とされていた人々)は、もともと日本人であり、国籍を失ったわけではありませんでしたので、このあたりが微妙ではありましたが。
 「2 新しい政権が誕生した時間」においてももちろんそうでしょう。
 しかし「3 憲法が議会で可決承認された時間」については、国家の誕生に必須の条件ではありません。政権の定義や、憲法、議会の有無は国によって異なるものです。すべての国が、アメリカ合衆国もしくは欧米型の国の仕組みを有しているわけではありません。
 新たな日本の始まりにおいて重要だったのは権力です。誰が権力を有するのかという部分です。そもそも明治以前の世の中(つまり江戸幕府)は、西洋の考え方によれば国家としては基準外であったのです。天皇が元首なのか?将軍が元首なのか?がわからないためです。が、日本の歴史を学んだ人であれば、江戸時代は幕府のほうが権力が大きいという認識がほとんどでしょう。ですので、大政奉還によって、日本は西洋が考えるような国家になった(戻った)のではないでしょうか。大政奉還は慶応3年10月14日(1867年11月9日)ですが、その翌日に天皇が奏上を勅許していますので、慶応3年10月15日(1867年10月10日 京都)から新たな日本が始まったと考えられるでしょう。『社会占星学』と、私の考え方が違う最大の箇所がこの部分です。
 東京遷都(注・奠都という言い方が正式だそうですが、しかし実質的には遷都)は、東京に首都という役割が備わった瞬間を意味します。遷都は国家開始図と同様に扱うことがあります。
 平安京遷都によって平安時代が始まり、鎌倉に幕府が置かれた瞬間から日本は変わり(注・それがいつなのかは諸説ありますが)、江戸幕府については天正18年8月朔日(1590年8月30日)の徳川家康の江戸入城を重視すべきと家康自身が主張し、八朔の儀式を行いました。同様の理由で、明治2年3月28日(1869年5月9日)、天皇が東京城に入り東京城を「皇城」として政務を行うとした日付が重視されることはもちろんあります。では、新たな政権が始まった時と、首都が設置された時のどちらを重視するのか、という問題になりますが、国家開始図の方を優先するのはいうまでもありません。
 
 戦後の日本について、1946年10月7日、日本国憲法が可決された日時は、多くの占術家が用いていますが、これはかなり疑問です。なぜなら、日本国憲法はアメリカの占領下において作成されたものです。日本に権力がない状態で作成されています。(注・憲法の内容を問題にしているのではありません。) 権力の構造を考えるなら、アメリカの占領が終了した時点で、「独立宣言」と同じように、日本に政治権力が与えられると考えるべきです。となれば、サンフランシスコ対日講和条約調印時、つまり1951年9月8日が重要になるでしょう。
 「大日本帝国」という名称は、1947年5月3日(昭和22年)の日本国憲法施行により失効しましたので、そういう意味では、1947年5月3日は、日本の名称が変更になったという意味で重要な日付になるのかもしれません。いずれにしろ、1946年の日本国憲法可決は、訪星珠さんの『社会占星学』においては重要とされていますが、施行に比べて重要度は低いと思われます。となると、戦後の日本開始図は、1947年5月3日(昭和22年)の日本国憲法施行を重視するのか、1951年9月8日(昭和26年)のサンフランシスコ対日講和条約調印時を用いるのか、というあたりで意見が分かれるのでしょうか。
 なお、時間についてですが、あまり時間にはこだわらなくてもよいと私は考えます。ホラリーやイレクションを重視する人たちにとっては、そのような考え方はできないかもしれませんが、上昇や月の度数が、それほど重要だとは思えません。大惑星の位置に注目すべきかと思います。なぜなら、国家は個人ではありませんので。
 
 『社会占星学』(著:訪星珠)は、洋書を読むには丸善まで行って注文するという(現代では考えられない)時代において、貴重な資料であったことを感謝いたします。本書より、東京遷都図(訪星珠さんは東京星図と称していました)を掲載しておきます。

秋月さやか


1867年10月09日(慶応3年10月14日) 大政奉還
1869年5月09日(明治2年3月28日) 東京遷都
1946年10月07日(昭和21年) 日本国憲法可決
1947年5月03日(昭和22年) 日本国憲法施行
1951年9月08日(昭和26年) サンフランシスコ対日講和条約調印時



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