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占星解説 東京(日本の首都)の緯度経度について
⇒ 35n42、139e46という数値は?
いくつかの占星術ソフトでは、東京の緯度経度に35n42、139e46という数値が多く使用されています。北緯35度42分、東経139度46分のことです。
これはいったい都内のどこになるのか、と、先日、占星術関係者のグループで話題になりました。
春分図の作成では、日本の首都である東京の位置を使用しますし、出生地が都内23区であるとすると、たぶんこの度数が使用されることになるのでしょう。 具体的には、この北緯35度42分、東経139度46分とは、神田明神から、上野公園あたりにかけてです。
神田明神(北緯35度42分7.3秒 東経139度46分4.4秒)ですから、北緯35度42分00秒、東経139度46分00秒は、神田明神の鳥居のあたりでしょうか。
北緯35度付近において、経度1分の長さ(幅というべきか?)は約1.5km、緯度1分の長さは約1.85kmですから、神田明神から東へ1.5km、北へ1.85kmまでのエリアが、35n42、139e46の範囲内となります。
その中には湯島天神(北緯35度42分26秒、東経139度46分11秒)、上野公園不忍池の野外ステージ(北緯35度42分53.12秒、東経139度46分24.29秒)も、
上野公園の西郷さんの銅像(北緯35度42分42.6秒、東経139度46分26.9秒)も、上野駅中央改札正面玄関口(北緯35度42分50秒、経度は東経139度46分38秒)も含まれます。
が、湯島聖堂は、(北緯35度42分2.85秒 東経139度45分59.3秒)ですから、35n42、139e46の西になります。
お茶の水駅は北緯35度41分48秒、経度は東経139度45分56秒ですから、これは35n42、139e46の南西になります。
上野の国立博物館は35度43分53.12秒, 139度46分24.29秒になり、35n42、139e46の北になります。
35n42、139e46というエリアの中にあるどこをさして、東京(日本の首都)といっているのかは謎です。もしかしたら神田明神かな?とは思いましたが、現在において東京の中心が神田明神という説は無理がありそうです。 改めて、東京(首都)の緯度経度といった場合、それはいったい、どこを指定すべきなのでしょうか?国会議事堂でしょうか? それとも皇居でしょうか。
一般的に日本の緯度経度といった場合には、日本緯度経度原点(東京都港区麻布台二丁目、旧東京天文台跡地)が使用されます。これは日本における地理学的経緯度を決めるための基準となる点で、測量法施行令(昭和24年政令第322号)第2条第1項において、その数値が定められています。
北緯 35°39′29″ 東経 139°44′28″は、35n42、139e46からは、南へ13km、西へ3kmぐらい離れた場所です。が、ホロスコープの作成にあたっては、3km西に移動したぐらいでは、経度1度以下の移動ですので、アセンダント度数が異なるわけでもありません。
しかし、日本緯度経度原点(東京都港区麻布台二丁目、旧東京天文台跡地)は、政治の中心地ではありません。日本における天体観測と、地図の観測点という意味で、日本の緯度経度原点なのです。
明治五年十一月、海軍は芝区飯倉の土地を買い入れ、海軍観象台を設置。海図の作成には天体観測が必要であったためです。この場所が北緯35°39′29″ 東経139°44′28″で、この海軍観象台がのちに、東京天文台となるのです。
海軍の動きとは別に、内務省地理局は、地図作成・測量の基準として観象台建設を考えていました。明治十四年に、旧江戸城本丸天守台に測量台建設を設置することにします。
明治二十年までは、暦象年表の東京の緯度経度は、東京天守台(江戸城本丸天守台)の位置であり、それが9h 19m 01s(東経139度45分15秒)、北緯35°41' 06"(北緯35度41分22秒)です。
明治二十一年、 海軍観象台のあった麻布区飯倉町の地に東京天文台 (現在の国立天文台) が誕生し、そこが日本緯度経度原点となりました。
この日本緯度経度原点(東京都港区麻布台二丁目、旧東京天文台跡地)、
数年前にこの場所を見に行ったのですが、狸穴の近く、と思って行ってみたら、狸穴坂のほうからは入れず、目的地に辿り着けませんでした。地図をみる限りでは、ロシア大使館の脇の道を入り、アフガニスタン大使館の手前、という感じになるようです。
東京(首都)の緯度経度といった場合、 これを国会議事堂とするなら、
所在地 〒100-0014 東京都千代田区永田町一丁目7番1号、北緯35度40分33.2秒 東経139度44分41.9秒 です。
皇居とする場合ですが、それはつまり、東京天守台(江戸城本丸天守台)、北緯35度41分22秒 東経139度45分15秒となるのでしょう。
もしも、日本の交通網の中心という意味なら、それは日本橋、北緯35度41分01秒 東経139度46分28秒です。
日本の首都(東京)の緯度経度をどこにするのか。占術家のみなさんは、ご自身の考えに従って、適切な場所の緯度経度を選んでご使用ください。
ちなみに私は、日本緯度経度原点(東京都港区麻布台二丁目、旧東京天文台跡地)を使用しますが、占星術ソフトが35n42、139e46を自動入力した場合には、まあそれでもいいか、とそのまま使用しています。なぜなら、上昇度数にはほとんど影響がないから、です。
春分図は、黄経00度、春分点に太陽が回帰した時のホロスコープをもとにして、世の中の動きを占うものです。
そしてソーラーリターンは、出生時の太陽の度数に、トランジット(運行)の太陽が回帰してきた瞬間のホロスコープを作成し、そこから1年間のいわば年齢運を占うものです。
つまり、春分図もソーラーリターンもいずれも、太陽回帰図であるということで構造は同じです。
春分図の作成では、日本の首都である東京の位置を使用しますし、出生地が都内23区であるとすると、たぶんこの度数が使用されることになるのでしょう。 具体的には、この北緯35度42分、東経139度46分とは、神田明神から、上野公園あたりにかけてです。
神田明神(北緯35度42分7.3秒 東経139度46分4.4秒)ですから、北緯35度42分00秒、東経139度46分00秒は、神田明神の鳥居のあたりでしょうか。
北緯35度付近において、経度1分の長さ(幅というべきか?)は約1.5km、緯度1分の長さは約1.85kmですから、神田明神から東へ1.5km、北へ1.85kmまでのエリアが、35n42、139e46の範囲内となります。
その中には湯島天神(北緯35度42分26秒、東経139度46分11秒)、上野公園不忍池の野外ステージ(北緯35度42分53.12秒、東経139度46分24.29秒)も、
上野公園の西郷さんの銅像(北緯35度42分42.6秒、東経139度46分26.9秒)も、上野駅中央改札正面玄関口(北緯35度42分50秒、経度は東経139度46分38秒)も含まれます。
が、湯島聖堂は、(北緯35度42分2.85秒 東経139度45分59.3秒)ですから、35n42、139e46の西になります。
お茶の水駅は北緯35度41分48秒、経度は東経139度45分56秒ですから、これは35n42、139e46の南西になります。
上野の国立博物館は35度43分53.12秒, 139度46分24.29秒になり、35n42、139e46の北になります。
35n42、139e46というエリアの中にあるどこをさして、東京(日本の首都)といっているのかは謎です。もしかしたら神田明神かな?とは思いましたが、現在において東京の中心が神田明神という説は無理がありそうです。 改めて、東京(首都)の緯度経度といった場合、それはいったい、どこを指定すべきなのでしょうか?国会議事堂でしょうか? それとも皇居でしょうか。
一般的に日本の緯度経度といった場合には、日本緯度経度原点(東京都港区麻布台二丁目、旧東京天文台跡地)が使用されます。これは日本における地理学的経緯度を決めるための基準となる点で、測量法施行令(昭和24年政令第322号)第2条第1項において、その数値が定められています。
ー引用ー 国土交通省 国土地理院のサイトから↓
1892年(明治25年)に東京天文台の子午環の中心を日本経緯度原点と定めました。
その後、1923年(大正12年)の関東大地震により、子午環が崩壊したため、日本経緯度原点の位置に金属標を設置しました。
2001年(平成13年)に測量法が改正され、測量の基準として世界測地系を採用することになり、金属標の十字の交点が日本経緯度原点の地点となりました。
(中略)
さらに、平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震の影響による地殻変動が観測されたため、2011年(平成23年)10月21日に、次の数値に改定されました。
経度 東経 139°44′28.8869”
緯度 北緯 35°39′29.1572”
ー引用終わりー 国土交通省 国土地理院のサイトから↑
というわけで、東京(日本の首都)の緯度経度は、地理的には、日本緯度経度原点(東京都港区麻布台二丁目、旧東京天文台跡地)と決められています。北緯 35°39′29″ 東経 139°44′28″は、35n42、139e46からは、南へ13km、西へ3kmぐらい離れた場所です。が、ホロスコープの作成にあたっては、3km西に移動したぐらいでは、経度1度以下の移動ですので、アセンダント度数が異なるわけでもありません。
しかし、日本緯度経度原点(東京都港区麻布台二丁目、旧東京天文台跡地)は、政治の中心地ではありません。日本における天体観測と、地図の観測点という意味で、日本の緯度経度原点なのです。
明治五年十一月、海軍は芝区飯倉の土地を買い入れ、海軍観象台を設置。海図の作成には天体観測が必要であったためです。この場所が北緯35°39′29″ 東経139°44′28″で、この海軍観象台がのちに、東京天文台となるのです。
海軍の動きとは別に、内務省地理局は、地図作成・測量の基準として観象台建設を考えていました。明治十四年に、旧江戸城本丸天守台に測量台建設を設置することにします。
明治二十年までは、暦象年表の東京の緯度経度は、東京天守台(江戸城本丸天守台)の位置であり、それが9h 19m 01s(東経139度45分15秒)、北緯35°41' 06"(北緯35度41分22秒)です。
明治二十一年、 海軍観象台のあった麻布区飯倉町の地に東京天文台 (現在の国立天文台) が誕生し、そこが日本緯度経度原点となりました。
この日本緯度経度原点(東京都港区麻布台二丁目、旧東京天文台跡地)、
数年前にこの場所を見に行ったのですが、狸穴の近く、と思って行ってみたら、狸穴坂のほうからは入れず、目的地に辿り着けませんでした。地図をみる限りでは、ロシア大使館の脇の道を入り、アフガニスタン大使館の手前、という感じになるようです。
東京(首都)の緯度経度といった場合、 これを国会議事堂とするなら、
所在地 〒100-0014 東京都千代田区永田町一丁目7番1号、北緯35度40分33.2秒 東経139度44分41.9秒 です。
皇居とする場合ですが、それはつまり、東京天守台(江戸城本丸天守台)、北緯35度41分22秒 東経139度45分15秒となるのでしょう。
もしも、日本の交通網の中心という意味なら、それは日本橋、北緯35度41分01秒 東経139度46分28秒です。
日本の首都(東京)の緯度経度をどこにするのか。占術家のみなさんは、ご自身の考えに従って、適切な場所の緯度経度を選んでご使用ください。
ちなみに私は、日本緯度経度原点(東京都港区麻布台二丁目、旧東京天文台跡地)を使用しますが、占星術ソフトが35n42、139e46を自動入力した場合には、まあそれでもいいか、とそのまま使用しています。なぜなら、上昇度数にはほとんど影響がないから、です。
春分図は、黄経00度、春分点に太陽が回帰した時のホロスコープをもとにして、世の中の動きを占うものです。
そしてソーラーリターンは、出生時の太陽の度数に、トランジット(運行)の太陽が回帰してきた瞬間のホロスコープを作成し、そこから1年間のいわば年齢運を占うものです。
つまり、春分図もソーラーリターンもいずれも、太陽回帰図であるということで構造は同じです。
占術研究家 秋月さやか
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