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十五夜の後に十三夜を眺める理由

 十五夜は旧暦八月十五日、満月前後の月。そして日本では、旧暦九月十三日にも月を眺めるという風習がある。その理由はよくわかっていない。丸い十五夜よりも、満ちていく十三夜のほうが風情があるからだという説もある。が。真相はよくわからない。
 
 ところで、旧暦八月十五日(中秋の名月)と旧暦九月十三日(後の名月)の宿は同じ婁宿となる。
 宿とは夜空に月の宿る位置をあらわす区分で、27区分の二十七宿と28区分の二十八宿がある。簡単に説明すると二十七宿はヒンドゥ由来で、二十八宿は中国で用いられていたもの。日本で二十七宿を古法と呼んでるのは、古くから日本で使用した暦に用いられていたため。
 なぜ27なのかといえばつまり、月が全天を一周するのは平均27.3日だから。月は約27日かけて、全天を1周する。でも、月の朔望周期は約29.5日だから、27日後には月齢は同じにはならない。先月の月齢よりも、まだちょっと若い月齢となって夜空に懸る。
 
 二十七宿の暦への配当の仕方はこうである。旧暦の朔(ついたち)に配当する宿を決め、そこから1宿ずつ配当していく形式。旧暦八月朔は角だから十五日は婁となる。そう、日付によって宿が決まっているのである。といっても、暦の配当と実際の天空の位置とは歳差のためにずれてしまっているので、そのあたりがちょっと紛らわしい。だから天空の婁宿の位置にあるとは書けずに、婁宿が配当されている、と書くしかない。そういうわけで、宿は天文ファンにとってはかなり評判の悪いシステムではある。
 
 旧暦九月十五日に婁宿にあった月がひと巡りして28日後に再び婁宿に戻ってきた時の月齢はだいたい十三夜。それが旧暦九月十三日。つまりこれが十三夜の月見の夜となるわけだ。ちなみに、旧暦九月十五日に配当される宿は昴(クリティッカ)プレアデス星団となるので、同じ月齢となる日だけをみていけば、宿は月ごとにだいたい2つ先へと進んでいくことになる。
 
 さて、古来、天子は春分には太陽を祀り、秋分には月を祀るとされた。春分の太陽は婁宿にある。そして秋分の月(秋分に一番近い満月の月という意味)は婁宿となる。つまり婁宿に意味があった、と考えられる。婁宿(プールヴァバトラパダ)の目印はおひつじ座βシェラタン。牡羊座のはじまりを意味していた星であり、古くは春分の目安だった。古い時代は太陽が婁宿に入ると春分だったわけだ。そして秋分には、ほぼ満月となって婁宿にやってきた月を祀り、その1か月後にもう一度、婁宿にやってきた月を祀る、これが十三夜ではなかったのか。
 
 
 さて、十五夜と十三夜の宿が同じになる。これは旧暦八月と九月の関係に限ったことではなく、他の月との関係性についてもいえる場合がある。
 
 たとえば、旧暦十一月十五日は冬至前後の満月頃で二十七宿の鬼宿日。鬼宿日はめでたい日だとされた。鬼宿(ムリガシラ)はもともとは蟹座のプレセペ星団のことだが、婚礼以外はすべて大吉のめでたい日。暦注に「きしく」と特別に記されているぐらい。
 なぜ七五三を十一月十五日に行ったかといえば、めでたい日だったから! そして旧暦十二月。江戸城の煤払いは旧暦十二月十三日と決められたが、これもやはり十二月十三日が鬼宿日だったため。旧暦十五日と十三日との関係性とは、そういうもの。
 
 
 二十七宿は、宣明暦の時代に民間に広まって行った。宣明暦は800年以上使用されていた暦で、使用されはじめたのは貞観4年(862年)平安時代の頃、鎌倉時代も室町時代も江戸時代の初期まで、ずっと使用されていた暦である。暦の迷信も含めて、宣明暦を知らなければ、当時の風習も理解できないことがある。
 ちなみに宣明暦は中国から渡ってきた暦法で、中国で使用されていたのは71年間。唐15代穆宗から唐22代昭宗、892年まで。余談だがこの892年は唐の最後の哀帝が誕生したという年にあたる。
 宣明暦はよくできた暦法だったけれど、天体の動きと暦法の数値の間のずれが大きくなってきて改暦されることになった。しかし暦法についていえば、完全な暦法はないので、どこかでリセットをしたほうがよい。現在、閏秒を入れているのと同じような感じで、たとえば朔旦冬至の時とかに調整しちゃうという手法をとればよかったのに、ね。

占術研究家 秋月さやか

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