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改暦と月の形と金色夜叉

 現在の暦では新年は1月1日から。しかし、旧暦の新年は違います。太陰太陽暦のルールに従い、立春前後の新月から。現在の暦からすると、だいたい1ヶ月間ぐらい遅い感じです。そして、太陰太陽暦では、元旦は必ず朔になったものなのですが・・・。
 
 熱海の海岸散歩すりゃ〜、貫一お宮の原作者、尾崎紅葉。1868年1月10日生まれと記されています。1868年といえば戊辰戦争の年。でも当時は、慶応3年、旧暦12月16日だったのです! 改暦前ですからね〜。ほぼ満月の月が夜空にかかり、あと2週間ほどで大晦日というあわただしい頃に尾崎紅葉は生まれたのです。
 そして1897年1月1日(新暦)から新聞連載されたという金色夜叉。私、この古風な文体が大好き。
 「未だ宵ながら松立てる門は一様に鎖籠めて・・・」お話は1月3日宵から始まります。木枯らしが「吼えては走行き、狂いては引返し、揉みに揉んで独り散々に騒げり。」なんでこんな書き方なのか。元旦といえば新春なのに、まだ冬じゃないか、と尾崎紅葉は憤っているのではないでしょうか。
 そして歌留多大会で宮が見初められ、結婚話。あわただしく宮は母親と熱海に湯治に出かけ(熱海はさすが春、梅の花も咲いているわけで)、その後を貫一が追いかけ・・・。2人が熱海の海岸を散歩するのは1月17日。「1月の17日、宮さん、善く覚えてお置き。来年の今月今夜は・・・(中略)、僕の涙で必ず月は曇らせてみせるから・・・」有名な台詞でございます。なんと!1897年1月(新暦)の17日は、旧暦15日でありました。満月が東の空から昇ってきていた宵。しかし、1年後は満月にはならない、残念ながら、という悲しい暦のお話なのであります。新聞連載された小説を読みながら、人々は、1年後の月の形が違ってしまうことに、改めて気づいたのではないでしょうか。
 この小説には、月の場面がたくさん登場します。明治の改暦で太陰暦は必要なくなってしまったのですが・・・。でも、やっぱり、庶民は夜空の月を眺めていたのでしょう。
 
 さて、貫一が5月26日生まれであることが、宮の手紙からわかります。仮に、明治5年生まれとした場合・・・貫一の誕生日は新月になります。26日なのに?そう、明治5年改暦。そこから、月の形と暦は分離されてしまったのです。庶民は、月の形で日にちを数えられなくなってしまった。それが貫一が生まれた年として設定されているのです。尾崎紅葉は、明治5年に母を亡くし、親戚の家に預けられるのですが、改暦後のあわただしさは、その幼い記憶にしっかりと残っていたのではないでしょうか。
 ところで、宮を蹴り飛ばす貫一。挿絵では、貫一は靴をはいているのです。が、熱海では、下駄を履いているんですって? 今度行ったら見てみようっと。

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参考文献:金色夜叉(上・下) 尾崎紅葉 岩波文庫

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