筆者エッセイ
妙見信仰のこと 妙見菩薩はスターゲイザー?!
妙見とは妙見菩薩。「菩薩」とは(ぼだいさった)の略で、サンスクリッド語のボーディサットヴァ(Bodhisattva)の漢訳。他者の救済を願って活動し、悟りを求める人のことであるという。ただし、人といっても、超人的な存在ですが。
では、妙見とはどういう意味なのか。妙(たえ)なる見力。つまり優れた視力。となれば、優れた視力で星を眺める人、スターゲイザー(Star Gazer)ということでよいのではないかと個人的には思いますが、しかしこれは不正解で、正解は、善悪までをも見通す力という意味なのだそう。
妙見菩薩の正体は、占星術師…ではなくて、道教の最高神、北辰大帝なのでありました。北天を巡る星々の中心が天の北極(北辰)で、そこにいる最高神が北辰大帝(玉皇大帝、北極紫微大帝)。その北辰大帝が、仏教に帰依して北辰菩薩になったのだ、と。道教の最高神が、仏に弟子入りなんてしない、とは思うわけですが、まあ、(なぜか)密教ではそういうことになっていて。そして、北辰菩薩の別名が妙見。ニックネーム、それともブッディストネームみたいなものか?
妙見(北辰)信仰は、司馬氏の晋の時代にはすでにあったようで、それは晋代に書かれた『七仏八菩薩所説大陀羅尼神呪経』(妙見神呪経)に、北辰菩薩の名は妙見、と記されていることから。妙見神呪経は、中国で作成された経典なので、道教と仏教をミックスした密教系の呪文です。名曰く妙見、と繰り返し、しつこく書いてあります。
『我北辰菩薩名曰妙見。今欲?神呪擁護諸國土。所作甚奇特故名曰妙見。』(我れ、北辰菩薩にして名づけて妙見と曰ふ。今、神呪を説きて諸の国土を擁護せんと欲す。所作甚だ奇特なり、故に名づけて妙見と曰ふ。)
北天の上から下界をすべて見通すという意味で妙見なのか、それとも、北天を見上げる我々が、妙見の力を欲するということなのか。
妙見は北極星信仰でしょう?という人たちがいます。北辰大帝は天の北極にいる、そして天の北極に輝く星が北極星であるためですが、しかし、北極星とはいったい、どの星なのか。北極星と呼ばれる星は、今はPolarisで、天の北極からわずかにズレているけれど、でも、かなり近いところにあるので、これを北極星と呼ぶことに違和感はないでしょう。
ですが、紀元0年頃には、天の北極は現在の位置ではなく、さらにそのあたりに目立つ星はなかった。天の北極には、ただ暗い虚空があるだけ。こぐま座βのKochabが、当時の天の北極に近い目立つ星であったとはいえ、天の北極から離れたところを回っている状態でありました。紀元300年頃と仮定しても、まだ天の北極に目立つ星はなく、妙見イコール北極星信仰というのは、ちょっと無理があるようが気がします。
妙見は北斗七星信仰でしょう?という人たちもいます。天の北極を知る目安が北斗七星なのであれば、北斗七星は重要ですので、大きな意味ではOKかとは思います。ただし、紀元300年頃には、現在のように、北斗七星の第1星と第2星を結んで5倍したところにあるのが北極星というような探し方はできませんでした。
妙見菩薩を祀っているのは、密教系の妙見神社で(妙見寺というケースもわずかにあるものの、ほとんどは妙見神社)、明治の神仏分離、廃仏毀釈のおりに、その多くは、星宮神社と名前を変え、祭神を天之御中主命(あめのみなかぬしのみこと)とします。天之御中主命は、古事記で世界のはじまりに出現したとされる神ですが、これを宇宙神といっていいものかどうなのかという疑問はあるにせよ、妙見菩薩の姿はそこで消えます。
ところで、子の神社という神社があり、これは地の北を祀る神社です。北は北でも、天の北極と、地盤の北は違う。子の神社の祭神は、多くが大黒天で、妙見菩薩ではありません。北を管轄するのは大黒天(マハーカーラ、シヴァ神の別名)で、これは北が五行の黒であることからきたものですが、大黒天は、古事記の大国主命と同一視され、結局は大国主命が祭神となります。これには大国主命の使いがネズミ、北は子でネズミというような繋がりもあるようです。
といっても、大黒天は、冥界の支配者であるとされるので、そういう意味では、北辰大帝(泰山府君)と通じるところもあるのかもしれません。となると、子の神社と妙見神社が、まったく関係がないとも言い切れないのかもしれませんが。
北関東の祖母の実家では、裏山の竹林の中にひっそりと子の神社を祀っていましたが、祭神はなく、祀っているのは北だと祖母は言っていました。しかし冬至とは関係があるようです。なぜなら、神社の祭礼は旧暦11月15日。冬至近くの満月でありましたので。祖母の実家は、応仁の乱の時に都を逃れてきた一族という言い伝えがあるので、都の妙見信仰を引き継いでいたのかもしれません。明治の廃仏毀釈以降、妙見信仰を隠すために、子の神社とした可能性もあるとは思うのですが、その真相は不明です。今でもその旧家はありますが、私よりちょっと下の当主とは、もう、何十年も会ってないし、裏山の神社のいわれに、たぶん興味はないでしょう。
冬至は年のはじまり。南中した太陽の影の長さから冬至を知り、年をはかる。そして、日没時の恒星と、日没時に北斗の柄の示す方位から、十二支月の名称を定めた。と考えると、冬至(地盤の北)と妙見信仰もまた、結びついているのでしょう。
なお、冬至は、子月の中央で、さらには星紀の中点です。などと書くと、「違います!」という意見がありそうですが、古代中国の十二次では、冬至は星紀の中点です。明代以降は、十二次の区分は15度、移動します。なぜか。宣教師による西洋天文学が持ち込まれたため。現代中国占星術と、古代の中国占星術では、二十四節気と十二次の関係性が異なっていますので注意してください。ただし、この十二次とは、暦作成のトロピカル区分のことです。(さらに古代の十二次区分は恒星由来のサイドリアルであったようです。これについては、いずれどこかで書く予定ではありますが。)
(注・歳差の影響で、日没時に北斗の柄が示す方位は、現在では、十二支月との対応関係はありません。十二支月の名称が日没時に北斗の柄の先が示す方位と一致していたのは、紀元前700年頃から、孔子先生が存命であった時代ぐらいまで、です。現在、冬至の日没時の北斗の柄の先は、北西を示していますので。) (秋月さやか)
参考文献:大崎正次『中国の星座の歴史』雄山閣
(古代中国の十二次と、新制十二次との関係性についてはこちらを読んでください。)
では、妙見とはどういう意味なのか。妙(たえ)なる見力。つまり優れた視力。となれば、優れた視力で星を眺める人、スターゲイザー(Star Gazer)ということでよいのではないかと個人的には思いますが、しかしこれは不正解で、正解は、善悪までをも見通す力という意味なのだそう。
妙見菩薩の正体は、占星術師…ではなくて、道教の最高神、北辰大帝なのでありました。北天を巡る星々の中心が天の北極(北辰)で、そこにいる最高神が北辰大帝(玉皇大帝、北極紫微大帝)。その北辰大帝が、仏教に帰依して北辰菩薩になったのだ、と。道教の最高神が、仏に弟子入りなんてしない、とは思うわけですが、まあ、(なぜか)密教ではそういうことになっていて。そして、北辰菩薩の別名が妙見。ニックネーム、それともブッディストネームみたいなものか?
妙見(北辰)信仰は、司馬氏の晋の時代にはすでにあったようで、それは晋代に書かれた『七仏八菩薩所説大陀羅尼神呪経』(妙見神呪経)に、北辰菩薩の名は妙見、と記されていることから。妙見神呪経は、中国で作成された経典なので、道教と仏教をミックスした密教系の呪文です。名曰く妙見、と繰り返し、しつこく書いてあります。
『我北辰菩薩名曰妙見。今欲?神呪擁護諸國土。所作甚奇特故名曰妙見。』(我れ、北辰菩薩にして名づけて妙見と曰ふ。今、神呪を説きて諸の国土を擁護せんと欲す。所作甚だ奇特なり、故に名づけて妙見と曰ふ。)
北天の上から下界をすべて見通すという意味で妙見なのか、それとも、北天を見上げる我々が、妙見の力を欲するということなのか。
妙見は北極星信仰でしょう?という人たちがいます。北辰大帝は天の北極にいる、そして天の北極に輝く星が北極星であるためですが、しかし、北極星とはいったい、どの星なのか。北極星と呼ばれる星は、今はPolarisで、天の北極からわずかにズレているけれど、でも、かなり近いところにあるので、これを北極星と呼ぶことに違和感はないでしょう。
ですが、紀元0年頃には、天の北極は現在の位置ではなく、さらにそのあたりに目立つ星はなかった。天の北極には、ただ暗い虚空があるだけ。こぐま座βのKochabが、当時の天の北極に近い目立つ星であったとはいえ、天の北極から離れたところを回っている状態でありました。紀元300年頃と仮定しても、まだ天の北極に目立つ星はなく、妙見イコール北極星信仰というのは、ちょっと無理があるようが気がします。
妙見は北斗七星信仰でしょう?という人たちもいます。天の北極を知る目安が北斗七星なのであれば、北斗七星は重要ですので、大きな意味ではOKかとは思います。ただし、紀元300年頃には、現在のように、北斗七星の第1星と第2星を結んで5倍したところにあるのが北極星というような探し方はできませんでした。
妙見菩薩を祀っているのは、密教系の妙見神社で(妙見寺というケースもわずかにあるものの、ほとんどは妙見神社)、明治の神仏分離、廃仏毀釈のおりに、その多くは、星宮神社と名前を変え、祭神を天之御中主命(あめのみなかぬしのみこと)とします。天之御中主命は、古事記で世界のはじまりに出現したとされる神ですが、これを宇宙神といっていいものかどうなのかという疑問はあるにせよ、妙見菩薩の姿はそこで消えます。
ところで、子の神社という神社があり、これは地の北を祀る神社です。北は北でも、天の北極と、地盤の北は違う。子の神社の祭神は、多くが大黒天で、妙見菩薩ではありません。北を管轄するのは大黒天(マハーカーラ、シヴァ神の別名)で、これは北が五行の黒であることからきたものですが、大黒天は、古事記の大国主命と同一視され、結局は大国主命が祭神となります。これには大国主命の使いがネズミ、北は子でネズミというような繋がりもあるようです。
といっても、大黒天は、冥界の支配者であるとされるので、そういう意味では、北辰大帝(泰山府君)と通じるところもあるのかもしれません。となると、子の神社と妙見神社が、まったく関係がないとも言い切れないのかもしれませんが。
北関東の祖母の実家では、裏山の竹林の中にひっそりと子の神社を祀っていましたが、祭神はなく、祀っているのは北だと祖母は言っていました。しかし冬至とは関係があるようです。なぜなら、神社の祭礼は旧暦11月15日。冬至近くの満月でありましたので。祖母の実家は、応仁の乱の時に都を逃れてきた一族という言い伝えがあるので、都の妙見信仰を引き継いでいたのかもしれません。明治の廃仏毀釈以降、妙見信仰を隠すために、子の神社とした可能性もあるとは思うのですが、その真相は不明です。今でもその旧家はありますが、私よりちょっと下の当主とは、もう、何十年も会ってないし、裏山の神社のいわれに、たぶん興味はないでしょう。
冬至は年のはじまり。南中した太陽の影の長さから冬至を知り、年をはかる。そして、日没時の恒星と、日没時に北斗の柄の示す方位から、十二支月の名称を定めた。と考えると、冬至(地盤の北)と妙見信仰もまた、結びついているのでしょう。
なお、冬至は、子月の中央で、さらには星紀の中点です。などと書くと、「違います!」という意見がありそうですが、古代中国の十二次では、冬至は星紀の中点です。明代以降は、十二次の区分は15度、移動します。なぜか。宣教師による西洋天文学が持ち込まれたため。現代中国占星術と、古代の中国占星術では、二十四節気と十二次の関係性が異なっていますので注意してください。ただし、この十二次とは、暦作成のトロピカル区分のことです。(さらに古代の十二次区分は恒星由来のサイドリアルであったようです。これについては、いずれどこかで書く予定ではありますが。)
(注・歳差の影響で、日没時に北斗の柄が示す方位は、現在では、十二支月との対応関係はありません。十二支月の名称が日没時に北斗の柄の先が示す方位と一致していたのは、紀元前700年頃から、孔子先生が存命であった時代ぐらいまで、です。現在、冬至の日没時の北斗の柄の先は、北西を示していますので。) (秋月さやか)
参考文献:大崎正次『中国の星座の歴史』雄山閣
(古代中国の十二次と、新制十二次との関係性についてはこちらを読んでください。)
占術研究家 秋月さやか
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