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雲をつかむような話

 あれは小学3年生の時。「夏休みの自由研究のテーマは雲!」と、いきなり母が言い出した。つまり、夏休み中毎日、朝昼夕方、東西南北天頂のそれぞれの写真を撮る。1日15枚。ラジオの天気予報を聞き、気圧を記録、そして自宅の温度湿度も記録する。「これなら金賞間違いなし!」と、母は勝手にうなずいた。
 
 とにかく私はカメラを持たされ、1日15枚の写真を撮ることになった。まあそれが、私が写真に興味を持ったきっかけでもある。
 
 結果的に金賞は逃した。理由は簡単。1日15枚の写真、カラーにすると紙焼き代がもったいない、小学生の自由研究なんて白黒でいいじゃない、と母は考えていた。それが間違いだったのだ。金賞を撮ったのは、なんとほとんど同じテーマで、1日3枚だけ、カラーで撮影した写真を使った別な学校の生徒だった。
 担任の先生は「こっちのほうがずっといい内容なのにね〜」と、たしかにそれは本心から慰めてくれたのだが。
 だから〜。見た目は大切なんだよ。と私は母に言った。「見た目にだまされちゃって。大切なのは中身でしょうに。」と母。母は、赤いたらこは絶対に買わなかった。着色料を使っているから、である。でも、たらこの色と、自由研究の写真が白黒かカラーかという問題をごちゃまぜにしてもらっては困るのだ。
 だいたい、雲の中身って、水。ただの水蒸気が光や風の具合で万象変化するだけ、まさに見た目の問題なのに〜。

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 さて、とにかく私は空を眺めるのが好きだ。もちろん、自分で雲の写真も撮る。が、素人が雲を綺麗に撮るのはなかなか難しい。
 理由は3つ。まず、空は光の加減が本当に難しいということ、テクニックの問題。ふたつめはタイミング。お!と思ってカメラを用意している間に雲の形は変化してしまう。3つめは、焦点距離の長い広角レンズのほうが綺麗に写る、三脚だって必要。つまり機材の問題だ。
 特に自然写真は、素人とプロの差が歴然である。プロの撮った雲は、ため息がでるほどに、魂を吸い込まれるほどに美しい。
 今からかなり前であるが、「雲」をテーマに、写真家さんの作品にエッセイを添えた本を出版させていただいた。北海道で写真ギャラリーを開いている高橋真澄氏の写真である。
 
 が、その後、出版社通しで私のところに妙な手紙がやってきた。手紙の差し出し主は、「雲」の本に感銘したという。そして何を隠そう、自分には雲を操る能力がある。だから自分の弟子になれば、雲を操る術を伝授する。しかしそのためには、厳しい修行が必要で…うんぬんかんぬん、カクカクシカジカ、以下省略。
 
 中国古来の占術に、望気術というのがある。これは、雲の形を見て、気の状態を判断する占術。
 天気と言う言葉は、本来、「天の気」。雲には天の気がそのままあらわれるだけでなく、その姿はこれからの天気の予兆でもある。観天望気。  さらに、雲だけでなく、風も、そして星も、広い意味では天気になる。天文といった場合、それは望気、占風、占星の3つを含む。「開元占経」によれば、地上で軍が動くときには、必ず天にその気があらわれるという。その状態を見て、戦いの勝ち負けを占うのだ。そのため、軍には、望気者といういわば雲占い専門家が必ず付き従っていたのである。今でも、天気を読むことを観天望気という。
 望気者は、天気を占うだけでなく、雲のパワーを操り、天気を変えてしまう。さらに、雲に秘められた力を操れば、大きな運命の流れを変えてしまうことだって・・・。おお、まさに、CLOUD POWER !
 しかし、これは通常の人間には出来ない。そう、それができるのは、神、魔物、超人である。
 
 ということは。雲を操るためには、仙人修行をする必要があるというわけ。ふ〜ん。雲をつかむような話って、こういう話のことなんだろう。
 曹操、孔明レベルじゃないと、それは無理な話。「私、気力、体力、知力ともにレベルが低く、従って仙人にはなれないかと。申しわけありません。」と、お返事を差し上げた。それっきり、だった。仙人修行の話は、そのまま雲散霧消したらしい。

秋月さやか


参考文献:中国古代の占法 坂出祥伸著 研文出版
      雲 高橋真澄・写真 青菁社

筆者エッセイ > 雲をつかむような話

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