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筆者エッセイ

たけのこ山は大豊作

 私がまだ子供だった頃。
 母がいきなり、「たけのこ採りに行こう」と言い出した。
 行き先は祖母の実家。代々続く農家で、裏山は竹林。当然、春になると筍がたくさん出る。
 祖母、母、そして私。
 私は、遠足用のリュックを背負わされた。といっても、中にはお弁当やお菓子が入っていたわけではなく、やけに軽かった。(まだ軽かった、というべきか。)
 
 さて、祖母の実家、筍の頭がひょこひょこと地面から突き出している裏山へ、スコップを持って入山。
 筍掘りは、重労働である。祖母の実家の人たちも手伝ってくれて、かなりの量が掘り出された。放っておくと竹山が荒れてしまうので、この際、掘ってしまおう、ということになったらしい。
 そして・・・「好きなだけ持って帰りなさいよ」と。
 母は、この言葉を待っていたのである。リュックの中から大量の袋、風呂敷等を出し、それこそ、筍を入れられるだけ入れた。
 現在ほど、宅配サービスが普及してはいなかった。それに、宅配サービスを使ったら、かなりの重量でそれなりの金額だったのかも知れない。
 
 私は、空になったリュックに1本(大)入れて背負い、そして2本(中)ずつの紙袋を両手に。母はさらに風呂敷に1本を包んで、それを私の首に結んだ。
 うう、重い。いたいけな子供に、なんてことを。その格好で電車に乗って、家まで帰るのである。かなりみっともない格好で「まるで筍泥棒みたい」。
 祖母も母も、とにかく持てるだけ、筍を持った。
 
 どうか知り合いに会いませんように、と私は祈ったが、そんな祈りは絶対に天には届かないものである。
 駅の改札付近で、「○○ちゃ〜ん、リュック背負ってどうしたの〜?」と、3人ぐらい、私の顔を見て駆け寄ってきた。
 「きゃ〜、なにこれ?」「ええ〜!どこに生えていたの〜?どこどこ?」「すっご〜い、見せて見せて〜」「食べられるの?これ?」「え〜、タダで貰ってきたの? あ、いいな〜。」「私も採りにいきたいな〜」 (ああ、これだから嫌だっつ〜の。)

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 家に帰ってくると、母は、気前良く、筍をご近所に配った。でも、あまりありがたがられなかったようである。
 
 それから下ごしらえ。これ、結構面倒。
 筍を丸ごと茹でなくてはならない。鍋には入らないので、祖母は、物置から釜を出してきた。私は皮むきをさせられた。
 (注・私はさっさと分割して茹でちゃっています。)
 
 筍は、そんなに一度に大量に食べられるものではない。
 いや、一度だけだったら、筍御飯、煮物、筍尽くしもいいけれど・・・。
 筍尽くしのお膳を見て、「おや、豪華だな」と、私の父が言ったのは一度だけ。
 毎日続くと、さすがに飽きる。
 
 しかし、母は平気だった。朝っぱらから筍御飯。夜も筍御飯。筍の煮物。姫皮の吸い物・・・。
 5日目ぐらいからは、てんぷら、中華炒め・・・なんていうレパートリーも試してみたわけだが、母は料理が下手な人だったので、見た目が違うだけで、味はたいして代わり映えしなかった。結局、筍なのだ。
 
 かぐや姫じゃあるまいに、さすがに飽きた、と私は訴えた。そうしたら母は・・・。
「筍は昔から貴重な食材で・・・昔々、中国にある若者がいて・・・」
 雪中の筍、孝行息子の孟宗の話である。
 
 毎日毎日、筍・・・。
 追い討ちをかけるように、さらに学校給食で筍が出た。そして、その次の日の朝だったと記憶しているのだが、私の体にじんましんが出た。
 
 かかりつけの小児科の先生は言った。「筍食べるの、しばらくやめなさいよ。」
 私はほっとした。祖母は、飽きれた顔でこう言った。「いくらなんだって、限度というものが・・・」。
 
 それからしばらく、私は筍を食べなかったけれど、でも、筍が嫌いになったわけではありません。
 春が来れば、あの時の筍堀り(いや、筍運び)を思い出しつつ、筍を煮ます。
 先日、新潟の本町市場のお惣菜屋さんで、筍の煮物を見つけました。地元の筍を使った煮物とのことで、雪国の筍はさぞ旨かろうと、つい買ってみたら・・・ああ、たしかにしみじみ。
 でも、食べ過ぎないようにしておこうっと。

秋月さやか

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