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初夢公開鑑定2020 発表

 今年もたくさんの初夢ご応募をいただき、ありがとうございました。

 まず、「初夢はいつみるのか」ですが、一般的には「2日の夜にみたものが初夢」とされているようです。しかし、これは江戸時代以降の風習で、絶対的な決まり事ではありません。年のはじまりを意識している時にみた印象的な夢であればすべてが初夢となるでしょう。

 そして、夢の記憶の中には雑念が混じることもあります。雑念が混入した夢の記憶が雑夢です。雑夢には強いメッセージ性はありません。たとえば、寝る前に観た映画の場面が夢のなかにあらわれたとしても、それは雑念なので(それがどんな内容であるとしても)、気にすることはありませんし、予知夢にもなりません。雑夢とそうではない夢を区別することは大事です。

 また、夢の解き方はひとつだけではないこともあります。こんな夢をみたからこうなる(こうなってしまう)、というようなことではなく、夢を思い出しながら、いくつかの可能性について考えてみることが大事です。さらには、たとえそれがよい夢であるとしても、なにもしないでただ待っているだけではそのチャンスは素通りしてしまうかもしれませんし、反対に、それが警告夢であるとしても、回避のしかたはあるということです。

 これは大事なことですので、はっきりと書いておきますが、私は霊感で夢を解いているわけではありません。私には霊感はまったくなく、また、霊感を信じてもいません。 夢を解くのに必要なのは、夢の知識です。夢に関する文献(といっても、現代日本の夢占いはほとんどがフロイトユング、つまりはアルテミドロス夢占いなので、それ以外のものも含めて)に接することが第一でしょう。

夢をご提供くださった方に感謝申し上げます。公開という性質上、読者にとってわかりやすく、あるいは役立つと思われる夢を選んでいますので、ご了解ください。
秋月さやか
初夢画像

公開後半 18「暗がりの中で儀式を受ける夢」
Q 場所は外で、地面が見えました。暗がりの中、松明に囲まれ、真ん中に正方形の土俵の様なものがあり、そこに母方の女性の親族がいました。私はその土俵の外で一緒に儀式に参加していました。呪文の様な声が盛り上がり気を失いそうになると、僧侶の様な方にあなたはこちらに、と言われその場から一瞬離れます。その瞬間儀式が終わり、儀式の場に戻ると、親族たちは気絶をして倒れておりました。しかし、僧侶の様な方にこれで大丈夫ですよ。と言われ夢は終わりました。夢のインパクトが強くて気になりました。
(ハンドルネーム セブンイレブン漬け)

A これはアルテミドロスでは解けそうもないので、他の解き方をしてみます。
 まず、地面、暗がり、正方形の土俵とは地盤なので、すべて陰、坤とします。土俵の上にいるのはすべて女性の親族のようですので、これも坤とします。
 となると、これは六十四卦の「坤為地(こんいち)」です。暗がりの中に松明が見えているので、これを坤為地2爻とすべきかもしれませんが。
 これはどうやら、今年の運勢を告げているようです。「坤は元いに亨る 牝馬の貞に利し 君子往くところあり。 先んずれば迷い、後れれば主を得る。 西南朋を得るに利ろし、東北朋を喪うも、貞に安んずれば吉」です。つまり、状況に逆らわずに、従順に従うこと、動かずにただ待っていればよい、といったような意味でよいかと思います。
秋月さやか

公開後半 17「見知らぬ雄猫を盗んでしまったらしい夢」
Q 家族とどこかに出かけ帰りの車の中。見知らぬ雄猫がいる。すごく毛並みがよく家にいる雌猫に比べて手がガッチリしてるなと思うが、プードルのような変な毛の刈られかたをしている。母が「付いてきちゃって離れないからこのまま乗せたの」という。私も毛の刈られ方をみて、このこは前のお家で嫌な思いしてたのかなと思うが、盗んでしまったからSNSにはあげない方がいいなとおもう。(私が今、既婚男性と不倫してることに関連してますか?)
(ハンドルネーム もも)

A すでにご自分で夢解きをなさっているようで、そのとおりかと思います。つまり、夢とは、自分の体験や考えを再確認するためのもの、という考え方をすることもできるでしょう。変な毛の刈られ方、前のお家で嫌な思いをしていたのかな、でも、盗んでしまったのでSNSにはあげないほうがいいな(公開はできない)、というあたり、ご自身の心情のあらわれそのものではないでしょうか。付いてきちゃったからしかたない、というのが正直な気持ちかとは思いますが、「付いてきちゃって離れないから」家に入れたいという気持ち。しかし、盗んでしまったものという認識になっているところからすると、やはりいずれもとのお家に返すしかない、ということかと思います。
秋月さやか

公開後半 16「用意した祝詞の祈願内容が異なっていて、焦る夢」
Q 縁側があり、奥に畳がある。神社の側面の庭か。縁側に六人が座る。左から親子交互に。一番左は福々しい男。皆、白い装束を着る。その奥の畳に白い装束を着た男の神職二人。私は彼らや建物に背を向け、神事を始めた。足元は灰色の砂利。笏と祝詞を書いた紙とを持ち上げ拝を行った後、笏だけ懐にしまう。然るべき箇所で読む為の、施主の氏名を書いた紙も持つ。紙を広げ祝詞を唱える。しかし、用意した祝詞は、異なる祈願のものだった。焦る。しかし、神職は焦りを悟られてはならない。たどたどしい声ではあったが、ごまかして奏上した。祝詞の紙は白く、墨書だが、赤や橙の筋が長く垂れている。流出する溶岩のようだ、火に関わる祝詞だと思った。
(ハンドルネーム 高橋御山人)

A 縁側に6人、親子3組ということでしょうか。奥の畳に神職が2人いて、ご自身を含めると神職は3人、計9人。
 年の初めに神社に参拝する、伝統的なイベントです。ではなぜ神社に参拝するのでしょう? 農村では農作物の収穫を、海辺では豊漁を祈願し、つまり、これから1年間の生活の糧を得られますように、という祈念です。現代社会ではどうでしょう? 農村や漁村もいまだにありますが、生活の糧を得る場として一般的なのは企業(職場)です。となると、これは仕事の夢なのではないか、と思えてきました。
 親子3組とは、上司と部下の組み合わせになるのかと思います。つまり集団的なプロジェクト。6人プラス2人の神職に背を向けて神事を始めたということは、その場を仕切る役割を任されているのではないか、と。
 「しかし、用意した祝詞は、異なる祈願のものだった。」ということで、想定していたミッションと、実際にやるべきノルマの内容は、どうやら違っているようです。蓋をあけてみたら、最初言ってたことと違うじゃ〜ん、というような展開でしょうか。(そもそも、最初はどのような祈願をする予定だったのでしょうか?)  そして登場する色が白、灰色、墨、赤、橙。紅と墨、まことに日本的な色の組み合わせで、水と火の色にも思えます。(注・水は五行では黒。)
 赤や橙の筋で、紙垂(しで)や御幣(ごへい)を連想しましたが、神垂は、雷光や稲妻を模しており、邪悪なものを追い払うという解釈があるようですので、火であるだけでなく光にも関連しているのでしょう。あるいは、溶岩の噴出のような情熱をもってミッションを成し遂げるといったような意味を含んでいるのかもしれません。
秋月さやか

公開後半 15「夜中に玄関のドアを開けられそうになる夢」
Q 一人で家にいる時、夜中に玄関のドアの鍵が開いてるのに気がつく。恐る恐るドア穴をのぞいて誰もいないのを確認。怖くてそーっと音がしないように鍵をかける、その瞬間、ガチャっとドアを開けられそうになる。ギリギリで鍵がかかっていたので開けられずにすむが、安心感よりも恐怖心が残る。
(ハンドルネーム kaona)

A まず、セキュリティの問題を疑ってください。といっても、玄関の鍵ではなく、ネットのセキュリティです。ドアの鍵穴というのは、プライベートな空間と、外界との繋がる場所ですが、これは現代社会では、ネット回線になっているからです。

 最近、就職や婚活、もしくは役所や銀行の窓口などで、ご自身の履歴や個人情報などを記載した覚えはありませんか? ローンの審査などもこれにあたるでしょう。
 この夢には、プライベートな場に踏み込んでこられることへの恐れがあるように思われます。たとえば詮索好きな同僚にプライべートなことを聞かれて答えることになってしまったとか、不本意な形でプライベートを曝してしまった体験の後などに、誰かに家に立ち入られる夢をみる人もいるようです。プライベートなセキュリティ、それも精神世界の鍵は大事です。もしかしたら、オープンにしすぎていることへの警告の可能性もあるでしょう。

 また、この夢は、もうひとつの解き方をすることもできます。
 玄関の外に誰かがいて、その誰かが家に入ってこようとしている、つまり、プライベートに立ち入ろうとしている人がいる、ということです。
「安心感よりも恐怖心が残る」ということですが、夢の中での感情は絶対的なものではありません。夢の中で重要なのは、あらわれた物や起こったことです。ドア穴を覗いても誰もいない、でも、夢の中ではどうやら誰かがいる。もしかしたら、その誰かは、これからやってくる誰かなのかもしれません。その誰かに警戒すべきなのか、それとも警戒する必要がないのかについては、これからわかるでしょう。そして、この安心感よりも恐怖感が残るという部分については、未知の対人関係に対して日頃から感じていることがクローズアップされた結果なのかもしれません。夢は、普段の生活の中ではあまり意識することなく無意識下に押し込めてしまっている感情に光を当ててみせてくれることもあるからです。
秋月さやか

公開後半 14「大雨で実家に波が押し寄せてくる夢」
Q 実家が大雨で波が押し寄せてくる夢を見ました。早く逃げるように促すようにするところで、目が覚めた。誰かが溺れるわけでなく、津波のような水の量が実家に向かっているとこでした。危機が迫っている夢でした
(ハンドルネーム りーさん)

A まず、これが実際の災害の予知夢である可能性は低いでしょう。災害の予知夢は、もっと臨場感があり、ニュースの画面を見ているような客観的な感じではない、ということです。
 しかし、ではこの夢にはまったく問題ないかというと、そうでもありません。
 かつて、洪水に家が流される初夢をご覧になったという方がいました。災害の予知夢ではないけれど、経済的な危機を告げている夢のように私には思えました。ですが、その方は家を購入したばかりであることを私は知っており、あまり悪い解釈もしたくないな、と思いました。(応募なさってきた夢ですので、解くこと自体には問題はなかったのですが)、私はその頃、夢は最大限によい解釈をすれば、運勢は好転するというような考え方について興味があり、なので(ちょっと無理な感じはあったのですが)、なるべくよい無難な解釈をしておきました。しかし、半年もたたないうちに、その無理な感じは現実となり、その方が家を手放すことになったことを知りました。(ああ、やっぱり)とは思ったのですが、そんな後出しじゃんけんのようなことを言うわけにもいかず、後味の悪い思いをしたことがあります。
 では、今回、なぜこちらの夢を取りあげたのかといえば、このような夢の扱い方について、読者の方々にも考えていただきたいと思いましたためです。というわけで、この夢の解釈として、2つの可能性について書きます。
1は、ご実家の経済的な危機。突然の引っ越しや、家族関係の崩壊なども含まれます。 2は、夢をみたご本人が、実家を心配している気持ち。(大雨や波は、感情の昂ぶりのあらわれ)
 たぶん2の可能性が高いのですが、1、2いずれであるとしても、ご実家の状況について、災害時の備えだけでなく、日頃の心配事についても話し合っておく必要はあるでしょう。
 しかし、そこで「悪い夢をみたから心配になって」などと言うのは控えるべきでしょう。占術はすべてがそうなのですが、占いを信じている本人と、信じていない他の人との間にはかなりの精神的な隔たりがあるものです。信じる、信じないで対立していても、なにもよいことなどありません。それに、相手に不安を与えるような夢の解釈を(望んでもいない相手に)一方的に押し付けてはいけませんので。
秋月さやか

公開後半 13「従姉妹の結婚式に両親が出席する夢」
Q 疎遠になった親戚の従姉妹の結婚式に両親が出席することになり、私は会場まで付き添いました。でも、母は普段着で父はスーツでした。会場を覗くと豪華絢爛、紅白の演出のようでした。そして従姉妹が妊娠していて、なぜかお腹だけが出てる黒い服でした。顔はみていません。めでたいな〜と感じました。
(ハンドルネーム みぃ)

A 夢は現実と反対になることがあります。現実での眠りは夢の中での目覚めであることからですが、夢の中での誕生が現実での死を告げていたり、夢の中での結婚式の衣装が葬式の喪服や経帷子を意味していることがあります。
 お父様しかスーツを着ていないということは、父方の親戚の誰かに関係したイベントであると考えることができるでしょう。会場は豪華絢爛ですが、豪華絢爛というだけでは、葬式なのか結婚式なのかもわかりません。従姉妹は妊娠していて黒い服、夢の中での誕生は現実での死を告げることがある、ということを思い出してください。
 葬式とはしばしば、親戚一同が顔を合わせる場であり、そして死について、人生について考える場でもあります。葬式とまではいかずとも、身内の高齢者の終活や遺産分割の話などに関わり、人生について考えることになるのかもしれません。
 「門松は冥途の旅の一里塚、めでたくもありめでたくもなし」が思い浮かびました。これは一休禅師の作ではないか、とされていますが、昔は正月に齢をひとつ重ねました。1月生まれだろうが、12月生まれだろうが、正月を迎えたら年齢が増える。それはすなわち老いて死へと近づくことであり、人はつねに死を考えながら人生を送るべきであるといったような教訓を含んだ歌です。
 しかしながら、この夢は同時に、従姉妹の結婚を告げている可能性もあるといえます。喪服はしばしば結婚を意味します。結婚とは、夫婦となって生死を共にすることであるためです。では、この夢は葬式と結婚のどちらを告げているのか、ということになるのかと思いますが、それがよくわかりません。もしかしたら、どちらもでしょうか。つまり、世代交代を意味するというようにも思えるのです。
 ですが、このような夢はくれぐれも慎重に解くべきであることは言うまでもないことです。今回は、公開鑑定へご応募いただいた夢ですので、このような可能性もあるのではないか、ということでの公開といたしました。しかし私は、誰かがこのような夢をSNSに投稿していたとしても、解釈はいっさいしません。他人の夢に勝手に介入するつもりはないからです。夢は個人的な意識体験であり、夢をみた人のものです。夢に登場した従姉妹は、当然、現実の従姉妹ではありません。疎遠になっているということですので問題はないと思いますが、夢にあらわれた人に夢の内容を告げるのは、基本、NGです。「あなたが夢にあらわれてこんなことを言った」などと言われても、どうしようもないからです。たとえその夢がよい夢であるとしても、(よほど親しい間柄でないかぎりは)不用意に夢の話をしないほうがよい、というアドバイスを差し上げておきたいと思います。
秋月さやか

公開後半 12「意識不明になった母親に代わって車を運転する夢」
Q 母親が運転する車に乗っている。運転中に母親が意識不明になってしまう。車は止まらず進んでいる。呼んでも応答がないため、運転席に移り私が運転することに。場面は変わり車から二人とも降りている。母親を何度も何度も呼ぶと「もう大丈夫よ」と意識が戻ってきた。母親の健康に直接関係あるのか心配です。また親との距離感の問題もあるのでしょうか?
(ハンドルネーム 凛々)

A 車とはこれから進む道をあらわしています。この夢では、あなたはお母様が運転される車に同乗しているので、人生の(もしくは生活の)大きな部分を母娘で共有しているように思えます。今まで主導権を握っていたのはお母様であったのでしょう。
 しかしお母様が意識不明になるということは、それができにくくなるということです。自身の意思で運命選択をすることができず(呼んでも応答がない)、あなたがかわりに運転することになるわけですから、今後はあなたが主導権を握る必要がある、ということです。
 画面が変わって車から2人とも降りてから、「大丈夫よ」と意識が戻ってきたということですが、それはあなたのサポートがあってのことですし、そして2人とも車からは降りています。従って、今後の予定について、(もしも予定外の出来事が起こったとしたらどうするのか)といったような危機管理も含めて考えておく必要がありそうです。
 ですが、この夢から、健康についてはよくわかりません。車が止まったり壊れたといったようなことであれば健康のトラブルもあるかもしれませんが、そうではなく、車は進んでいるからです。気になる夢ですが、まずは現実に目を向けてください。夢がきっかけになって、ちょっとした異変に気づくこともあるでしょう。健康が心配だと思っておられるなら、健康診断をおすすめします。しかし、「よくない夢をみたから」というようなことをお母様に告げるのはNGです。否定的な内容を告げることによって、相手に不安感を与えてしまうことは避けるべきだからです。
秋月さやか

公開後半 11「お風呂に入れなくなり、泣いている夢」
Q 仕事から疲れて両親の家に帰り、またすぐ仕事に出かける予定。いつも同じ服装なので、たまには違うものをと、昔の洋服を出す。ベージュ、腰のところにフリルのついた細いスカートを、試してみたら、はけたが、下着が透けていたため、水色薄地綿のワンピースを選ぶ。
 入浴しようと階下へ行き、お湯は半透明の赤い水でしたが、臭いはなく嫌ではありません。スカートがきつすぎて脱ぐのに苦戦していたら父が浴槽に入ってしまった。私は驚いて半裸で廊下に出て、時間がないからもうお風呂に入れないと泣いている。母がやってきて、こういう時のために別の浴室があるからそちらを使いなさいと言うが、時間がないので無理。
(ハンドルネーム 桃太郎)

A 実家に立ち寄って昔の洋服を出す。それは昔の自分に戻りたい、という気持ちのあらわれかもしれません。しかし、下着が透けていたり、浴室に入るためにスカートがきつすぎて、脱ぐのに苦戦してしまう。洋服は自分自身のペルソナですが、外に対してどのようにふるまえばいいのかわからない、といったような場合に、洋服が選べない、もしくは合わない、脱げない、といったような夢をみやすくなります。その昔とはどのぐらい昔なのかがわかりませんが、とにかく昔の洋服を着ようとしてはいけない、つまり、昔とは状況が違ってることを認識すべきである、というメッセージであるようです。そして、仕事に(そして社会と接することに)疲れている状態でもあるようです。
 赤い水の入った浴槽とは、癒しの必要性であり、子宮もしくは生まれ育った環境のことを意味しているようです。あるいは、浴槽が休養するための寝室や病院などを意味している場合もあります。実家に戻り、ゆっくりとお風呂にも入りたい、つまり休養を欲している状態でしょう。
 しかし夢の中では、お風呂にはお父様が入ってしまいます。お父様の体調を優先すべき状況なのでしょうか。あるいは、ご両親との関係性をどうすべきか、接し方について悩むことにもなりそうです。
 時間がない、というのは、人生において大事な場面がやってくる、(しかも準備の時間はあまりない)、といったような場合によくみる夢といってよいでしょう。すぐに仕事に出かける予定で洋服を選び、そして入浴しようとしているのですが、どうやら問題は家庭内で起こるようです。仕事のことよりも、ご両親のこと(お父様のこと)を優先して対処すべき事態を告げている可能性もあるでしょう。いずれにせよ、この夢が、ご両親の現実に注意を向けるきっかけになればよいのではないでしょうか。
秋月さやか

公開後半 10「アイシャドウを探す夢」
Q   アイシャドウを探す夢を見ました。アイシャドウは白い棚の1番上の段に置かれて売られており、中身は4色のものもあれば、9色のものもあり、9色のが欲しいと探している夢でした。隣に女性(誰かは不明)がいて親しげに一緒にアイシャドウを探してくれている夢でした。
(ハンドルネーム エレピ)

A   化粧とは自分自身のペルソナで、外に対して見せる自分の顔です。そして化粧は、他者への印象を意識してするものです。化粧品を買いに行く夢は、外に向けた自分自身の印象を意識している時にみるものです。それが、(恋愛を意識して)異性に向けたものなのか、(仕事を意識して)職場に対してのふるまい方なのかは、人ぞれぞれですが。
 色数の多いアイシャドウは、場面や相手によって接し方を使い分けしようとしていることでしょうか。口紅であれば、それは多くの場合、恋愛を意識していることが多いのですが、アイシャドウは口紅とは違いますので、仕事における自己主張や才能の活かし方に関するものなのではないか、という感じがします。上の棚に置いてあるということからすると、ちょっと上をめざしている上昇志向。9色のアイシャドウを、夢の中で手にとってみましたか?
 化粧品が登場する夢では、鏡に映った自分の顔を見ることもあります。夢を思い出してみてください。また、実際に鏡をご覧になりながら、周囲にどのような印象を与えるふるまいかたをしたいのか、自己イメージについて考えてみる機会かもしれません。
秋月さやか

公開後半 9「排泄物の夢」
Q 今年の初夢はやたらに大便がでてきました。介護の仕事をしているせいか、排泄介助の夢をみることはあるのですが、排泄介助の度に処理をして、きれいにしてオムツをはかせているということが繰り返し夢にでてきてました。ほとんどが普通のもので、量も多く、介助が終わるたびにお礼を言われましたが、その仕事が終わり、自宅に戻ったところで目が覚めました。毎年初夢は見るのですが、過去に見たことがない夢でした。悪い夢じゃなければいいのですが。
(ハンドルネーム やました)

A 排泄物の夢で検索すればおわかりでしょうが、排泄物の夢は金運を告げるとされます。排泄物は、地に戻って養分となり、作物を育てるからです。排泄物は、堆肥(肥料)という位置づけになります。
 といっても、排泄介助などで排泄物をみることが一般の人よりも多いわけですから、夢の特殊性はそれほどでもなく、排泄物をみただけで宝くじを買いなさい、とまでは私は申しあげられません。ですが、排泄物でトラブルになったというわけでもなく、介助が終わるたびにお礼を言われているのですから、まったく問題はないでしょう。つまり、悪い夢ではないということです。
 仕事の夢を延々とみるという人はわりと多く、その繰り返しは、仕事が延々と続くことへのマンネリ感であると思われます。延々と続く仕事から抜け出したい、と考えることもあるのでしょう。ですが、その仕事が収入を約束してくれるという意味でもあるように思えます。(もちろん介護の仕事には排泄介助以外の業務もあるわけですが)、また、排泄物にフォーカスがあたったということから、金運(収入)に意識が向かっているというようにも解釈できるでしょう。念のためにもう一度書きますが、これはまったく悪い夢などではありません。
秋月さやか

公開後半 8「町内会の調整役で駆り出され、駆けずり回る夢」
Q 土地開発をめぐり、同じ町内会で、まっぷたつに別れ、その調整役として、借り出され、しぶしぶ、引き受けたものの、東奔西走して、駆けずり回り、へとへとになっている夢を見た。前途多難を思わせ、初夢そうそう、くたびれました。
(ハンドルネーム 又三郎)

A 町内会のメンバーがまっぷたつに分かれて対立するというストーリー、調整役を引き受けられたその結末はどうなりましたでしょうか。どうやら、対立したままで、まとまってはいないようですね。
 実際に土地開発が起こることはないと思われます。おそらく、対立している町内会のメンバーとは、ご自身の中の2つの運命選択ではないかと思えます。2つの可能性があり、もしくは2つのうちのどちらかを選ばなくてはならない。1つは、これまでの状態を維持することで、たとえていうと土地開発には反対。もう1つは、新しい変化を受け入れることで、土地開発に賛成。
 この対立した2つの運命選択の可能性があり、しかし、どちらを選べばいいのかわからない。そういった悩み多き状況にあるか、もしくはそのような状況がいずれ訪れるであろうという夢ではないかと思われます。しかもそれは、容易に決められない状況ですから、前途多難、東奔西走してへとへとになり、くたびれるということも予想できます。あるいは、その運命選択には人間関係の調整が必要になってくる・・・と考えると、これはたしかに、簡単な問題ではなさそうです。
秋月さやか

公開後半 7「地下鉄の中でパンデミックから逃れた夢」
Q 大混雑の地下鉄。乗ろうとすると、赤と黒のスキー服のようなものを着た男性が腕を振り回し、騒いでいる。後ろから来た、四角いメガネ、グレーのスーツの男性が、ハンカチを口にあてながら、不穏な咳をしている。咄嗟に隣の車両に行こうとして走り、出発直前に乗車。すると、同時に走り込んだ東南アジアの顔立ちの女性に、口を塞ぐよう指示される。車内を見渡すと、乗客全員、口から白い泡を吹いて倒れ込んでいた。恐怖に包まれるも、東南アジアの女性と共に居ると、平常心を保て、立ちすくみながらも列車は次の駅に付き、パンデミックから逃れたことを感じる。目覚めは、なんとか乗り切った、とホッとしていました。初夢はもうちょっと穏やかに迎えたいもんです。
(ハンドルネーム ドーンパープル)

A 大混雑の地下鉄、大勢の人々が集まる場でしょう。
 口を塞ぐように指示されるというのは、「口を開けてはならない」→「しゃべるな」ということではないのかと思われます。不穏な咳はウィルスをまき散らす元凶であり、白い泡を吹いて倒れ込んでいる人たちは、ウィルスに感染したのでしょう。感染とは悪影響を受けること、という解釈をするなら、そのウィルスは危険な思想かもしれません。
 大混雑した地下鉄の中にいる人たち、人種も服装もさまざま。それは、考え方や行動パターンがさまざまな集団を意味しているのでしょう。集団の中では、不穏な影響を受けず、よけいなことを発言せずに自衛すべき、という警告夢と解いてみましたがどうでしょうか。そして、呼吸器には要注意です!
 よい初夢というのはたしかに、ちょっとしたプレゼントを貰ったように楽しいものです。が、しかし、よい初夢をみたからといって、1年間、問題がなく過ごせることなどありません。であれば、警告夢のほうがいいのではないか、と私は思うようになりました。だって、夢の警告に気を付けていればいいわけですからね。
秋月さやか

公開前半 6「梟(フクロウ)の眼があらわれた夢」
Q 初夢と言ってよいのかどうかわかりませんが、元旦、初詣を済ませ、お屠蘇いただいて、炬燵で居眠りしたら、目覚める前に、梟(フクロウ)の眼だけがズームで現れ、そこで目覚めました。なんのストーリーも脈絡もなく。梟の眼だけ。どんな意味を持つのでしょうか。
(ハンドルネーム 星那)

A 大晦日から元日にかけて、睡眠時間が少なくなる人たちは多いようです。大晦日に夜更かしをし、元日の朝に早起きをすることはもちろん古くからあったでしょう。しかしもしも大晦日から元旦にかけて夢をみたとしても、元旦はたいてい慌ただしいもので(現代ではそうでもないでしょうが、昔は元旦は早起きする風習でしたから)、起きた瞬間に夢を忘れてしまうでしょう。夢とはみるものではなく思い出すものです。だから思い出す時間がないと、意識されないまま消えていってしまうのです。
 元日から2日の朝にかけて、もしくは2日から3日にかけてのほうが、時間的に余裕があり、夢を思い出すことができる、だから2日もしくは3日の朝にみた夢を初夢とするようになったと考えてよいでしょう。(江戸時代、よい初夢をみることができるとした枕絵を売り歩いたのが2日の夕刻であったことも影響しています。初夢が商品化されたということです。)
 しかし、初夢とはいつみるものか、と考えると、年の初めに意識した夢ということでしかありませんし、居眠りであろうが夢は夢です。実際、昔から元日に居眠りをすることになるというパターンは古くからあったようですし、居眠りしたさなかに浮かんできた夢を初夢とすることに、まったく不自然はありません。
 
 さて、「梟の眼」とは何を意味しているのか。これに関しては、ご自身で思い当たることを優先してください。夢はプライベートな記憶からきていることがあるからです。一般的には梟(フクロウ)は夜の闇を見通し、知能が高いので「森の賢者」と称される知恵の象徴でもあります。年長者、もしくは教育者。神聖な鳥であると考える民族もいれば、邪悪な存在であるとする民族もいるので、いちがいにどうとはいえません。死の象徴あるとする地方もあり、しかし最近では「不苦労」として福を呼ぶマスコットとすることもあるようです。
 梟(フクロウ)の眼というと、昼にはまぶしい光の中でなにも見えず、夜にはまるでカメラの絞りのような丸い瞳をみひらいてすべてを見通すかのようです。梟(フクロウ)というよりも、カメラのレンズが連想されるように思いました。なににフォーカスを当てるのか、といった目標意識に関連するような気もします。が、こういった特殊なイメージについては、一般的な夢占いで解き明かすことは難しいといえるでしょう。こちらは、初夢の条件と、解き明かしの難しい夢ということで公開回答といたします。
秋月さやか

公開前半 5「2人の男性が殴り合いをする様子にショックを受けた夢」
Q 元ボクサーの男性と、喧嘩自慢の男性。机をはさんで向かい合ってる。喧嘩自慢の男性が、元ボクサーの男性に殴るから避けてみろ、といい、いやいや元ボクサー男性は応じるが、元ボクサーが殴られてしまう。その様子をいやーな気持ちになりながら見ていて、殴られた瞬間の様子と音にショックを受けるわたし。二人とも知り合いではない。
(ハンドルネーム えむ)

A 社会の中では頻繁に戦いが起こっています。仕事では、競争は必須で、相手に負けたくないどころか、相手を打ちのめしたいという闘争心が出てくることなどもちろんあるでしょう。実際に殴り合うことはないとしても、精神的にはすでに殴り合い、という事態はいろいろなところで起こっているはずです。
 元ボクサーの男性は、当然ですが強いでしょう。喧嘩自慢の男性も強いのでしょうが、しかしどう考えても元ボクサーの男性のほうが強いはずです。喧嘩自慢の男性が、一方的に殴るから避けてみろと挑戦し、元ボクサーは気乗りしないのに、応じてしまい、結果的に殴られてしまうことになります。
 この2人の男性は何を意味しているのでしょうか。机をはさんで向かい合っているということからすると、そこは仕事の場ではないでしょうか。元ボクサーは経験値を積んでいますが、自己主張が弱いようです。嫌なことを嫌と断れないのですから。
 喧嘩自慢の男性は、経験値は元ボクサーよりも下ですが、勢いがあり、ルールを無視した無謀さがあるようです。そして、無謀な申し入れを元ボクサーにし、殴ってしまうわけです。
 無謀なのはあきらかに喧嘩自慢の男性のほうなのですが、しかし、勝敗はどうでしょうか。喧嘩自慢の男性のほうが勝ったということになるでしょう。これはフェアではありません。こんなアンフェアな試合を見せられたとしたら、誰だって気分のよいものではないでしょう。おそらくこれは、警告夢であるといえます。
 勢いに押されて、嫌なことを断らないでいると、こういうアンフェアな結果になるかもしれない、ということです。また、この2人の男性は、仕事の性質をあらわしているのかもしれません。転職で悩んでいたり、仕事上の選択で悩んでいるとしたら、この夢を参考にしてみてください。つまり、嫌なことは嫌だと断るべきである、勝てない相手であるとしても勝つ方法はある、という2つのメッセージがこめられているのではないでしょうか。このメッセージをどのように解釈して役立てるかは、夢をご覧になった(えむ)さん次第です。
秋月さやか

公開前半 4「小魚がたくさん泳ぐ美しい海の夢」
Q 美しい海に魅せられて近づくと、見たこともない深い青い色の海でした。浅瀬だったので裸足になって歩くと小魚がたくさん泳いでいていました。とても気持ちが良かったです。最近は心の状態が如実に夢に現れます。美しい夢をたくさんみたいものです。
(ハンドルネーム ゆりあ)

A 夢は心象風景ですから、美しい景色の夢は、精神状態が良いことを示しています。初夢はこれから1年の運勢を示すイニシャルドリームですので、年の初めによい夢をみたら、1年間、よい運勢に恵まれると昔の人たちはそう考えていたわけです。よい夢をみることでよい運勢を手に入れる、これは呪術でもあります。
 美しい海の夢は、もちろんよい夢です。深い青い色、裸足になって浅瀬を歩くと気持ちが良い、というところから、ヒーリング(癒し)を求めている夢と私は解きました。
 夢は「願望の充足」でもあります。つまり「こうなったらいいな」という願望のイメージ化です。たとえば「あこがれの芸能人と結婚する初夢」は、毎年、よく目にする内容です。しかしそれは、現実にその芸能人と結婚する予知夢ではなく、強い願望が描き出した幻のイメージでしかありません。
 その夢は、予知夢なのか、それとも願望充足夢なのか、という部分は重要です。夢は時々、現実世界に足りていないものを夢の中で補足してくれることがあります。現実が灰色の日々だとしたら、夢の中では極彩色の鮮やかなファンタジーを描いてくれるでしょう。もちろん、よい夢には心の癒しの効果はあり、それは、心が癒される→精神状態がよくなる→現実を肯定的に考えることができるから運勢もよくなる、という図式です。
 運勢がよい(A)=精神状態がよい(B)、これは成り立ちます。運勢がよい(A)=美しい夢をみる(C)は、≒nearly equalぐらいでしょう。では、精神状態がよい(B)=美しい夢をみる(C)はどうかというと、これも≒nearly equalです。精神状態(B)がよいわけではないとしても、美しい夢(C)をみることはあるのです。となると、A=B=Cというわけではないので、よい夢をみる=運勢がよくなる、かどうかはちょっと曖昧なのですが、意識して心の中に美しいイメージを描くマインドトレーニングには、否定的な感情を緩和する効果はもちろんあるでしょうし、美しい夢をみることもヒーリングとしては有効でしょう。美しい夢を楽しむことで、心を癒されてください。
秋月さやか

公開前半 3「トイレの水と海が血になっていた夢」
Q 家にいたらトイレの水が鮮血になって、ふっと後ろを振り向いたら窓から海が見えて、そこが血の海で津波になっていた、というものです。海は現実よりすごく近く見えましたけれど、(家は)山の上なので緊迫感はゼロでした。血は透明感のある綺麗な赤です。
(ハンドルネーム ブラウンシュガー)

A 「トイレの水が鮮血に、海が血の海で津波に・・・」で思い浮かぶのは旧約聖書「出エジプト記」、もしくは新約聖書「ヨハネの黙示録」でしょう。「神の怒りによって水が血に変わる」、「海が死人の血のようになって海の生物がみんな死ぬ」です。となると、これは世界の終わりを告げる警告夢・・・と考えたくもなるかもしれませんが、こういうドラマチックな夢が災害を告げていたことは、(これまでには)ありませんでした。
 海が血の色に変わるというのは、旧約(出エジプト記)、新約(ヨハネの黙示録)における世の終わりへの警告です。聖書を信仰のよりどころとしている人の場合には、信仰していた世界が終わる、ということになるでしょう。つまり、信仰を捨てる、もしくは信仰から卒業する。信じるものや精神世界が大きく変化することを意味しているのかもしれません。
 といっても、現代社会では、一般常識として聖書に書かれていることを学んでいるのが普通です。信仰とは関係なしに「血の海」が世界の終わりを警告するというイメージが浸透しています。となると、血の海は、まるで世の中の終わりのような(世の中の混乱)への不安感のあらわれとみなすことができるでしょう。
 家は山の上なので、津波に巻き込まれることはない、でもトイレの水は鮮血に変わった。これは世の中の変化の影響を少なからず受けるということへの懸念ではないかと思われます。水は、世界を繋げる存在であり、世の中と個人、そして個人と個人は、精神世界、経済活動において繋がっているからです。
 この夢では、水が血に変わったわけで、自分自身の血が流れたわけではありませんので、健康的な問題や、経済的な問題(出費)についてはそれほど心配することはないように思えます。(これが自分の血である場合には、健康や経済問題を疑うべきなのですが。)
 また、日常的に、終末予言について考えることの多い人であれば(つまりオカルトネタに接することの多い人)、世の中への不信感が募ってくるだけでも、夢にこうしたイメージが登場しやすくなります。かつて、世界が瓦礫になってしまう夢を頻繁にみる、と悩んでいた20代の女性がいましたが、話を聞いてみると、毎晩のようにしているゲームの舞台は、崩壊したのちの世界であるということでした。普段なじんでいる精神世界が瓦礫の世界であるなら、瓦礫の世界は日常でしかなく、それは災害の予知夢とはならない、ということですので、世の終わりがやってくる夢ではなさそうです、と申し上げておきましょう。
秋月さやか

公開前半 2「夢の中で目覚め、御香典の金額を聞かれる」
Q 夢の中の世界で目覚め、布団から出てどこかへ帰ろうとすると、隣の部屋で誰かが亡くなる。亡くなった方が誰なのかはわからず、知らない方のようだが、隣の布団で寝ていたおばさんに、『御香典として、今お金いくらありますか?』と聞かれる。
 明日の土曜日の午前中が葬儀で、私は特に参列しなくてもいいらしいが、故人の骨を拾ってあげて欲しいという思いが、そのおばさんから私の心に直接伝わって来る。心に直接語りかけられたのは初めての経験だったのでとても驚いて目が覚めた。
(ハンドルネーム ハギット)

A 夢の中での覚めは、非現実世界での覚醒です。この非現実世界を、精神世界と呼ぶ人もいれば、冥界と呼ぶ人もいるでしょう。ある種の人たちからすれば、精神的に深いステージにいるということになります。夢の中での覚醒は、あきらかに意味のある(もしくは強い影響を与えることになる)イメージ体験でもあります。なお、夢の中での覚醒は明晰夢とは異なるので注意してください。
 夢の世界は、しばしば逆さまの世界であるとされます。現実世界で亡くなった人は、夢の世界(もしくは冥界)に生まれ変わるという考え方になりますし、夢の世界で亡くなった人は、現実世界に生まれ変わるという考え方があるのです。という考え方からすると、昨年、身内に、新たな命の誕生はありませんでしたか? 御香典とは、出産のお祝い金のことではないでしょうか。誕生といっても、それが新生児であるとも限りません。新たな社会に向かって旅立っていった新社会人を意味しているのかもしれません。
 さらに夢は、たったひとつの解き方しかないというわけではありません。他の解き方についても考えてみましょう。
 隣の部屋で亡くなった誰かが、「ある場所から消えていった人」のことを意味しているのではないか、ということです。隣の部屋ですから、近い場所(おそらく仕事)で何かをしようとしてプロジェクトから外れていった人たち。あるいは、それは人ではなく、実現しなかった物事や、役割を終えた物事のことを意味しているのかもしれません。そのような物事を惜しむ、悼む気持ちのあらわれとみることもできるのかもしれません。となると、そこでの「御香典」とは、実現しなかった物事や役割を終えて消えていく物事に対する価値評価という意味になるのかと思います。
秋月さやか

公開前半 1「通れなくなった道を、母が通れるようにしてくれた夢」
Q 夢の中で、母が1人で住んでいる家に来ている。家は、広い畑や花の咲きほこるエリアや林のように何本かの高い木々がある土地にポツンと建っている、手作り感満載の小さな平屋建てで、母はここで、畑仕事や庭仕事をしながら楽しく暮らしている。若々しい中年の母は、ローラのお母さんが来ているような作業着を着ている。
 朝、私は1人で、周りの畑や草花などを楽しみながら散歩をする。とげが鋭いバラの苗が、4束植えられている。バラの茂みの横には、トゲトゲのサボテンの植え込みや大きく茂った低木の茂みもあって通れなくなっている。困ったな…と思っていたら母が出てきて、横に張ったロープをポケットから出した剪定バサミでチョキンと切って、来た道が通れなくなったら、こうして こっちから通ればいいのよ。という。母は8年前に他界しています。
(ハンドルネーム えりこ)

A まさに典型的な初夢といえるでしょう。年末年始の夢に故人があらわれるケースは多く、昔であれば、初夢とは故人(祖霊)が夢にあらわれてアドバイスをくれるものであったといっても過言ではないからです。
 日本で、年の初めに訪れる年神とは祖霊のことです。盆と正月は祖霊を祀る(というか、自宅に祖霊を招く)、これが日本において伝統的に長い間継続されてきた風習であり、大晦日に墓参りという風習の地域も多いでしょう。「大晦日に墓参りはダメですか?」などという質問がネットで飛び交っているのをみると、これも時代の流れなのか、とは思いますが、どうも違和感を感じてしまいます。
 そして(初夢だからというわけではないのですが)、たいてい、故人は夢の中で引っ越ししていることが多いようです。故人が、現実世界とは違う世界(冥界)での住まいを得たと考えてよいでしょう。夢の中の故人が、生前の住居にそのまま住んでいるといったようなケースでは、夢をみたご本人が、故人の死を認めることができない場合が多いようです。
 さて、4束のバラの苗と、その周囲のサボテンや低木の茂みは、あきらかにこれから進んでいこうとする道に障害があることを告げています。4束のバラの苗は、敵意のある4人の女性でしょうか。「通れない道」とは、先へ進むことのできない状況です。これからやろうとすることに妨害が入るかもしれません。(あるいはすでに入っているのかもしれません。)
 ですが夢の中で、「来た道が通れなくなったら、こうして こっちから通ればいいのよ。」と、お母様は(たぶんその道ではないところに張ってある)ロープをはさみで切ってくれます。もうダメかな、と思うようなことがあるとしても、見方を変えて別の方法でトライすればよい、ということです。「もうダメかな」と思うような出来事は、すでに起こっているのでしょうか。それとも、これからやってくるのでしょうか。いずれであるとしても「来た道が通れなくなったら、こうして こっちから通ればいいのよ。」というお母様からのアドバイスを胸に、お進みください。道は必ずあります。
秋月さやか

夢解き公開鑑定 > 初夢公開鑑定2020 発表

 
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