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「おめでとう」に宿る愛の力

「オメデトウってどういう意味?」
 ある年の新年、知人の留学生から質問されたことがあった。彼女はカリフォルニア出身の日系人。「オメデトウ」という言葉は子供の頃から耳にしているのだが、その意味を訊ねても、誰もはっきりと説明してはくれなかったのだという。
「Happy!でしょ。」とあっさり答えた私。「やっぱそうだよね。」と彼女。なぜって「あけましておめでとうございます」→「Happy New Year!」って教わってるもんね。
 
「オメデトウ」の意味を、漢字圏の留学生から質問されれば、「喜」の一文字を書いてOK。カリフォルニア出身の彼女は、漢字文化にほとんど接しないままに育ったらしいのだが、「喜」という漢字を見せたら、「チャイニーズタウンで見た」という。喜ばしいこと、それがすなわち「おめでとう」。「喜」は正確にはMerryだろうけど、まあ、Happyも似たような意味だから。
 
 が、その後、広辞苑を読んでいて「めでたい」の語源は違うことを知った。
 めでたい→(メデ(愛)イタシ(甚))の約。
(広辞苑 第四版 岩波書店)
 甚だ愛らしいと感じること、こよなく愛している、それが「めでたい」なのだという。
 つまり、「めでたい」の語源は「喜」ではなく「愛」。HappyではなくLove。
 
 さらに「めでたい」には、たぶん「愛でたい」(あいしたい)の意味も込められているのではないだろうか。そう、「愛したい」という願望がその内に込められているのが「めでたい」。「めでたい」という言葉は、言祝ぐ時に用いられる。「言祝ぎ」(kotohogi)とは、簡単にいうと、良いことや好ましいことを口にして、実体化に近づける日本古来の呪術。言葉には言霊(Kotodama)が宿るので、口に出せば実現しやすくなるという構造である。イメージを心の中で描くだけでなく、言霊(Kotodama)として口に出すという実践が必ず伴う、それが「言祝ぎ」(Kotohogi)。
 日本の祈りには言霊が必須。よく日本人は受身だと言われるけれど、私はそうでもないと思う。ただ黙って諦めの境地で運命に従っているわけではない。祈りの言葉に願望を託し、その願望は運命に対する信念といってもいいぐらいの強さとなって、運命を導く時がある。あたかも内向的な積極性とでもいうがごとく。
 

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 つまり、新年の挨拶、「おめでとうございます」は、「とても愛しいと思っております。」あるいは「愛することができるような状況が訪れることを祈っております。」といったような意味を込めた「言祝ぎ」。となれば、年始の挨拶「あけましておめでとうございます」を大いに口にすべきでしょう。
 
 そして信念と新年は音が同じ。音が同じ言葉は「通じる」という。「通じる」というのは、同じ意味を持っているに等しい、時には置き換えることもできる、という構造。この置き換えも、祈りではよく用いられる手法である。
 となれば、新年に口にする「めでたい」という言霊は、さらに強い信念に増幅されるに違いない。「新年あけましておめでとうございます」となると「新年」「(年明けの)あけまして」の意味が重複するのでマチガイという説もありますが(文法的にはマチガイなのでしょうけれど)、言霊的にはOKです。言葉の重複はとにかく意味を強めるのです。
 
 年始は、愛する人に、ぜひ「おめでとう」という言葉を贈ってください。それ以外の人にも「あなたにも愛がやってきますように」という意味で。
 「別にめでたいことなんてないのに、なんで正月はオメデトウなのよ?」と首を傾げる人がいますが、それは「どうか(あなたにも)めでたいことがありますように。」という、励ましの言葉を贈りあう習慣だと思ってください。「おめでとう」は、いわば最高のお年玉なのです。なぜって、お年玉は御年霊に通じますから。
 
 さて、「めでたい」を「芽出度い」「目出度い」と書くのは当て字。が、芽が出るのは春がやってくることで、それも確かに「めでたい」ことには違いありません。そして「目出度い」という文字を目にすると、私は海老一染之助・染太郎兄弟の姿を思い出します。目をぐっとむき出すあの表情は、まさに「福笑い」。
 「福笑い」は、古来、大切な儀式でした。年の始めに笑い、楽しい気分になる、それこそがこれから1年間の楽しい日々を招福祈願するために大切な行為と考えられたのです。あの「目出度い福笑い」姿は、今でも多くの日本人の心にはっきりと刻み込まれています。

秋月さやか


参考文献: 広辞苑 第四版 岩波書店

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