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国家開始図(始原図)とは なにか

国家開始図(始原図)とは なにか

 国家誕生図、もしくは国家開始図についてです。始原図という用語が使用されているようですが、わかりにくいので、ここでは、国家誕生図もしくは国家開始図とします。
 
 まず、国家の誕生についてですが、そもそも、国家の誕生とはなにか。アメリカ合衆国の独立記念日は1776年7月4日(フィラディルフィア)です。これは独立宣言が行われた日で、独立宣言=国家の誕生成立ということになるなら、アメリカ合衆国誕生は1776年7月4日です。
 その後、アメリカ独立戦争は、1775年4月19日から1783年9月3日まで続き、本国であるイギリスがアメリカの独立を完全に認めたのはパリ条約(1783年9月3日)においてです。つまり、アメリカの独立宣言は1776年7月4日。しかしそれを世界が認めたのが1783年9月3日。となると、アメリカ合衆国の国家誕生図は、いつとして作成すべきなのでしょうか?
 
 国とは、領土があり、民がいて、統治者による統治がなされている集団です。たいていの場合、国には法があります。アメリカ合衆国憲法が公布されたのは1788年6月21日です。国としての形を整えるために憲法が必要なのだとするなら、アメリカ合衆国の国家誕生図は、1788年6月21日であるべきかもしれません。
 つまり、アメリカ独立宣言は1776年7月4日、本国イギリスがアメリカ独立を認めたのが1783年9月3日、アメリカ合衆国憲法が公布されたのが1788年6月21日。
 
 独立宣言をしたから国家になるというのであれば、蝦夷共和国(えぞきょうわこく)の独立記念日は1868年旧暦12月15日(グレゴリオ暦1869年1月27日)です。
 蝦夷共和国とは、戊辰戦争末期に蝦夷地(北海道)を支配した旧江戸幕府軍勢力による蝦夷島政府のことで、「北海道共和国」という名称でも知られています。ゴールデンカムイで、「蝦夷共和国(北海道共和国)」の存在を知った人も多いでしょうか。鶴見中尉や生きていた土方歳三による蝦夷共和国復活は、ゴールデンカムイ作者の架空のストーリーですが、かつて「蝦夷共和国」(総裁は榎本武揚)があった、というのは歴史の事実です。
 占領した函館の五稜郭において蝦夷地領有宣言式が催され、榎本を総裁とする仮政府の樹立を宣言したのですが、占領していたのは函館周辺だけで、蝦夷地全域を支配していたというわけではありません。蝦夷地全体を支配する計画ではあったようですが、それは実現していません。蝦夷共和国の独立宣言後には役職が決定され、税の取り立てなども行っていたようですが、日本は蝦夷共和国を認めたわけではなく、国家として機能することはなく、解体します。
 蝦夷共和国の国民(とされていた人々)は、もともと日本人であり、日本国籍を失ったわけではありませんでしたので、「蝦夷共和国だけが」勝手に生まれて解体していったことになり、蝦夷共和国国民が難民になったわけでもありませんでした。

 最初にこれらを説明したのは、国家の誕生とはなにか、を考えなくてはならないためです。
 
 まず、日本の誕生の瞬間はいつなのかと考えると、これは不明です。
 『日本書紀』によれば、それは大和国橿原宮で神武天皇が即位した紀元前660年1月1日(旧暦)であるとされます。初代天皇の即位を国の誕生としています。紀元前660年1月1日(旧暦)は、紀元前660年の、太陽黄経315度±15度の新月ということになります。(注・旧暦1月が、立春を含む朔望月と考えた場合)
 『日本書紀』は、養老年間(720年頃)に作成されたものなので、この記述がはたして正しいものなのかどうかはわかりません。紀元前660年という年代の設定については想像による伝説の日付としかいいようがなく、これが旧暦1月1日であった可能性は高いでしょうが、紀元前660年に信憑性があるかどうかは曖昧です。
 
 といっても、このような国家は多数存在します。たとえばフランスを考えてみましょう。フランスという国の名称がいつから用いられたのかというと、それは紀元987年、カペー朝の創始時から、のようです。しかしそののち、統治者は変わります。そして、フランス(ブルボン朝)と、フランス共和国は、フランスはフランスでも、違う国として考えるべきです。フランス共和国は1792年9月22日の第一共和政成立からです。その後、ナポレオンの帝政(フランス第一帝政)により、フランス帝国と名を変えます。が、フランス第二共和政により再びフランス共和国に、しかしナポレオン3世皇帝即位により第2帝政がはじまり再びフランス帝国に、その後、第三共和制によりフランス共和国が復活します。その後、パリ・コミューン、自由フランスを経て、フランス共和国臨時政府が1944年6月3日に(ただし北アフリカのアルジェで)成立し、フランス第4共和政に移行し、現代のフランス共和国は第5共和政で、1958年10月4日に公布された第5共和国憲法により定められたと考えてよいでしょう。となると、現代のフランス共和国の開始図(注・国家開始)として用いるべきは、1792年9月22日なのか、それとも1958年10月4日なのかについても、迷うところではありますが。
 
 さて、日本です。国家の仕組みという意味では、幕末に大政奉還がなされたことにより、日本は大きく変わりました。1867年11月9日(京都)ですが、明治天皇がこれを勅許したのは、翌15日(1867年11月10日)です。

 明治天皇が東京に入った1869年5月9日正午を日本の開始図(始原図)として用いる人たちは大勢います。一方、大日本帝国憲法の発布(1889年2月11日)をもって開始図(始原図)とする人たちもいます。これは憲法の発布によって国の形が整うと考えるためです。が、明治時代の日本は、フランスやアメリカとはちょっと事情が異なっていました。それは、明治時代の日本が天皇制(天皇に統治権のすべてが帰属する政治体制)であったということです。
 ある意味、独裁政権に近い。となると、天皇の即位が重要ですので、 1868年10月12日 (慶応4年8月27日) 京都御所に於いてを重視すべきという考え方も当然あるでしょう。
 が、しかし、明治天皇が東京に入った日付は、それ以降の歴史を考えると、即位よりも重要な日付として扱うべき、という考え方もあります。なぜなら、明治天皇が東京に入ってからはじまった政治の体制は、それまでにない新たなものであったためです。新政府は天皇を中心とした新しい国家体制を築くことを目指して江戸を東京と改め、天皇が東京に行幸し、明治2年(1869年)に政府機能が京都から東京に移された「東京奠都(とうきょうてんと)」によって、明治政府が確実なものになった、と考えられるためです。(ここで遷都と言わないのは、遷都を避ける意味合いから。かつて、遷都して滅んだのが平清盛ですので、遷都は禁句。)

 古い時代の日本には憲法というような考え方はなく、五箇条の御誓文(1868年4月6日)ですでに事足りていましたが、そこでわざわざ大日本帝国憲法を作った理由は、外国と対等に渡り合うためでした。(そこで、大日本帝国憲法が重要である、という考え方が発生します。)しかし、大日本国憲法が定められたことによって、明治政府の体制が大きく変わったわけではありません。つまり、重要なのは、日本の新たな組織編成であったと考えられるのではないでしょうか。
 というわけで、明治天皇即位の1868年10月12日 (慶応4年8月27日)(京都)を重視するのか、それとも、大政奉還の翌日1867年11月9日(京都)を新たな日本の始まりとするのか、それとも東京奠都の1869年5月9日正午(東京)を使用するのか、についても考えなくてはなりません。
 
 そして第二次世界大戦で日本は敗北し、占領されました。その占領が終わったのが1952年4月28日です。(注。ただし、この時点で沖縄の占領は終了していません。)
 自国の憲法を制定した段階で自治国家だと考えるなら、日本国憲法の公布日である1946年11月3日と、その施行日である1947年5月3日が重要ということになるわけですが、アメリカ合衆国憲法が公布されたのは1788年6月21日である、ということを改めて思い出してください。さらに、アメリカ合衆国憲法施行日は1789年5月4日ですが、この2つの日付が、アメリカの独立記念日よりも重要である、というような意見を聞いたことは(私は)ありません。
 
 さて、日本の話に戻ります。アメリカ軍の占領が(沖縄以外について)終了したのが1952年4月28日です。サンフランシスコ講和条約の調印が1951年9月8日で、発効が1952年4月28日。1952年4月28日(日本時間22時30分)をもってアメリカ軍の占領が終了し、日本に国家としての主権が戻ったということになります。これを、政府は主権回復の日(しゅけんかいふくのひ)としています。
 ということは、それ以前、日本に主権がない状態で日本憲法が公布及び施行されているということになり、自国の憲法を制定した時をもって開始図(始原図)とするという考え方ができるかどうかについては、(私は)かなり疑問です。

 (注・繰り返しますが、1952年4月28日、アメリカ軍の占領が終了したのは、本土だけでした。沖縄において、占領はそのまま継続し、沖縄が返還されたのは、1972年5月15日となります。)

 なお、大韓民国の場合についていえば、その開始は、日本の占領が終了した1945年8月15日、つまり、日本の敗戦記念日にあたり、韓国の祝日です。他国の占領が終了したことによって、国家の主権が回復したと考えるためです。

 さて、国家開始図として、どの年月日を用いるのか、それは占術家によっても異なると思われますし、その見解もそれぞれでしょう。が、それにしても、占術家が憲法公布日をことさらに重視しすぎる傾向があるように思えます。憲法公布日を重視するなら、アメリカ合衆国のケースについても考慮すべきですが、なぜかそうはなりません。
 私は、どれが正解か、ということを言いたいわけではありません。(ましてや、正解と信じている答えのために、他の見解を批判したいわけでもありません)、が、「誰々先生がこう言っているから」に黙って従い、考えることを放棄してしまっているとしたら、それはすでにオカルティストではありません。この記事をきっかけに、オカルティストのみなさんが、自分の頭で考えてみることに意識を向けていただけたら、と思います。

秋月さやか

:資料:
・日本における主権回復の日(1952年4月28日22時30分Tokyo)
→太陽06Tau 月28Gem 水星12Ari  金星22Ar 火星11Sco 木星29Ari 土星09Lib 天王星10Can 海王星19Lib 冥王星19Leo 上昇00Cap

・サンフランシスコ対日講和条約調印時(1951年9月8日時刻不明 サンフランシスコ)
・1867年10月09日(慶応3年10月14日) 大政奉還
・1869年5月09日(明治2年3月28日) 東京遷都
・1946年10月07日(昭和21年) 日本国憲法可決
・1947年5月03日(昭和22年) 日本国憲法施行




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