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ユリウス暦とグレゴリオ暦

Proleptic Calendarについて

【ユリウス暦とグレゴリオ暦、Proleptic Calendarについて】

 私たちが現在使用しているグレゴリオ暦では、春分は3月21日前後になります。(つまり、太陽黄経00度を含む日が3月21日。まあ、そうなるように作られたわけですので。多少の例外は発生しますが、だいたいはその関係性が成り立っています。)
 
 グレゴリオ暦が使用されるようになったのは16世紀以降。それより前のユリウス暦は、紀元前45年から使用されている太陽暦ですが、暦の仕組み的に、春分の日付と実際の春分がずれていく現象が発生しました。なぜかといえば、実際の1年の長さ(春分から春分まで)と、暦の長さが微妙に合っていないため。
 紀元前45年、ユリウス暦が用いられはじめた頃には春分の日は3月25日、冬至の日は12月25日でした。といっても、実際に正確に計算してみると春分は3月23日頃で、冬至は12月23日頃であったようですが。ユリウス暦のルールは1年365.25日、平年を365日にし、4年に一度、閏日を入れて366日にする。
 
 紀元前46年まではローマでは太陰太陽暦が使用されていました。紀元前46年の冬至を過ぎた新月(それは冬至から8日めぐらいにやってきたようですが)を、ユリウス暦の1月1日としてユリウス暦に切り替わります。(この新月は、中国では前漢の時代、初元3年11月29日であるとされます。古代においては平朔であったので、朔の日付が1〜2日ほど前後することはありえます。)
 古代ローマ暦では、新たな年は冬至を含む朔望月の新月から始まったのかと想像していたのですが、冬至を過ぎた新月から始まったようです。(ヤヌスは2つの顔を持つ神なので、冬至を含んだ朔望月を意味するのかと思っていたのですが、どうやら違っていたようです。といっても、ローマ暦の歴史は長いので、このあたりは私の中で、まだ謎を追いかけている部分ですが。)
 
 さて、時は流れ、ユリウス暦が使われるようになってから400年近くが過ぎます。いつしか春分はユリウス暦の3月21日頃に、冬至はユリウス暦の12月21日頃にやってくるようになってしまっていました。季節と暦がだんだんとずれていくのです。その理由は、太陽回帰よりも、ユリウス暦の1年のほうが少しだけ長いからです。
 紀元325年に開かれたキリスト教の教会総会、ニカイア公会議で、春分の日付が話し合われます。
 以下は想像ですが・・・「春分の日は3月25日であったはずであります。しかし天文学者からクレームが入っております。なんでも本当の春分は3月21日だとか。が、神の定めた天の動きと暦が違っているなんて、ゆゆしきことであります。いかがいたしたらよろしいのでありましょうか?」とかなんとか言ったか言わないかは知りませんが、「春分は3月21日なのか、だったら春分の日は3月21日にすればよい、はい決定。冬至?冬至はどうでもいいだろ。え?12月25日がユール(冬至祭)だって?それはそのままにしとけ。冬至なんてどうでもいい。大事なのは復活祭の春分だ。」というような感じに話がまとまったのではないでしょうか。というわけで、仕切り直し。325年から春分の日が3月21日になりました。
 となってから、またしばらく時が過ぎました。軽く1200年ほどね。
 
 1500年3月。春分は3月11日にやってくるようになりました。でも、春分の日は3月21日と決まっています。だって、325年にそう決めたもん。天の動きと暦が合っていな〜い。
 復活祭の日付を決定するにあたって、春分をなんとかしなきゃならないということになります。
 復活祭の日付を決定するにあたって、ユリウス暦はあてにならないとして、ユダヤ暦をチェックしていたキリスト教会もあったようです。アレクサンドリアの教会では、コプト暦と、メトン周期を用いて季節と月齢を計算し、復活祭の日付を決定していたようです。「特定の太陽黄経に近い月齢」を計算していくというのは、太陰太陽暦の手法です。宗教儀式に暦は欠かせません。が、すべての教会でそのような計算ができるわけではありません。そのために、暦が必要なのに。
 というわけで、グレゴリウス13世が改暦を命じます。改暦委員会が組織され、その結果、新しい暦が作られます。が、まずはユリウス暦1582年10月4日木曜日の翌日を、グレゴリオ暦1582年10月15日金曜日とすることになったのでした。つまり、1582年10月5日から1582年10月14日までの10日間は失われた日。
 
 グレゴリオ暦が、平年では1年を365日とするところはユリウス暦と同じです。が、400年間に97回の閏年を置きます。ユリウス暦では閏年が100回になっていて、結果的に、太陽の運行に暦の長さが合わなかった。4年に一度ずつでは閏日を入れ過ぎてしまうので、3回ほど抜こう、ということです。
 その結果、「西暦紀元(西暦)の年数が、100で割り切れるが400では割り切れない年は平年。これ以外の年で西暦年数が4で割り切れる年は閏年とする。」というルールが採用されます。ややこしいのですが、末2桁が00の年に注意。1600年・2000年・2400年は400で割り切れるので、これらの年は閏年。しかし、1700年・1800年・1900年・2100年・2200年・2300年・2500年・2600年・2700年は400で割り切れないので、これらの年は平年。というルールでグレゴリオ暦は作られているわけです。
 
 さて、グレゴリオ暦が使われるようになったといっても、世界中がグレゴリオ暦を使用しているわけではなく、いまだにユリウス暦を使用している国もあります。ですが、グレゴリオ暦は広い地域で使用されているので、歴史を記す時に、だいたい1600年以降の日付はグレゴリオ暦で記載されています。が、グレゴリオ暦以前の歴史はユリウス暦で記載されます。
 
 気を付けなくてはならないのは、ホロスコープ作成ツールを使用する場合。たとえば1700年代でユリウス暦でしか生年月日の記載がない場合、グレゴリオ暦に直して入力しないと正しい値が出てこないことがあります。
 
 たとえば。徳川家康の江戸入城。天正18年八月一日。これを西暦であらわすと、グレゴリオ暦では1590年8月30日で、ユリウス暦では1590年8月20日。ホロスコープ作成ツールでは、グレゴリオ暦で入力しないと、正しい星の位置が表示されないことがあります。(稀にユリウス暦対応のツールもあるようですが。)
 なぜ、10日も違うのか。グレゴリオ暦の実際の春分は3月21日。ユリウス暦の実際の春分は3月11日。春分からの日付を数えたとしたらどちらも日数は同じ。つまり、太陽黄経は、どちらの暦の日付でも、(日付が違っていても)同じになる、といえば理解できるでしょうか。
 まあ、ややこしいので、時々、計算を間違える危険がある。なので、ユリウス暦とグレゴリオ暦の変換ツールは使ったほうがいいです。
 
 でも、ユリウス暦以前はどうするの?どうやって日付を入力するの?ということにもなってきます。紀元前46年以前はローマ暦であった、などといわれても、そんな日付に対応しているホロスコープ作成ツールはありません。
 そこで、紀元前46年以前の日付は、ユリウス暦があったと仮定して、ユリウス暦ルールで配当していくことになり、これがProleptic Calendarです。 「ユリウス暦制定以前については、ユリウス暦にならって日付を遡ります。 この、ユリウス暦の規則に従い、機械的に日付を遡った暦をProleptic Julian Calendarといいます。」(引用:国立天文台 天文情報センター 暦計算室より) (注・なお、ユリウス日とユリウス暦はまったく違うものですので、混同しないように。)
 
 グレゴリオ暦の考え方を、グレゴリオ暦以前に遡って適用するProleptic Gregorian Calendarも存在します。
 
 アレクサンドロス3世(アレクサンダー大王)の生年月日は紀元前356年7月20日だとWikiに記載されていました。が、マケドニア暦(太陰太陽暦)を、ユリウス暦(Proleptic Julian Calendar)にあてはめたのか、それとも、グレゴリオ暦(Proleptic Gregorian Calendar)として考えたのかが、ちょっとわからずに悩んでいるのですが。
 中国、日本の歴史の日付は、中国由来の太陰太陽暦の日付で記載されています。太陰太陽暦の仕組みを知っていれば、それをグレゴリオ暦ルールに変換することは可能なので、ホロスコープ作成に有利です。かつて、太陰太陽暦の日付だけのホロスコープチャート(黄経度数が記載されていない)を、グレゴリオ暦のルールに変換し、そこからユリウス暦に直すということをやったのですが、太陰太陽暦の日付は、太陽と月の角度差に近い対応をしているというのが手掛かりになりました。マケドニア暦の仕組みについての解説書を探しているのですが、なかなかわかりやすい資料がありません。
 
 ユリウス暦ルール(Proleptic Julian Calendar)において気を付けなくてはならないのは、日付と太陽黄経のずれです。
 ユリウス暦は、その構造上、年代がプラスされていくと春分(太陽黄経00度)が春分の日(3月25日)により前にやってくるようになります。1年の日数が、太陽回帰の長さよりも多いので、春分の日が春分よりも後になっていく、と説明したほうがわかりやすいでしょうか。しかし、年をマイナスしていくと(つまり過去に遡っていくと)、遡れば遡るほど、実際の春分が、3月25日よりも後にやってくることになります。
 
 ユリウス暦が設定された紀元前45年の3月25日が春分(といっても実際には太陽黄経が00度になるのは3月23日ぐらいなのですが)、太陽の黄経度数が00度になる日付だけを年代を過去に遡ってチェックしていきますと、春分の日よりも後になっていくのです。
 紀元前660年ともなれば、紀元350年(ニカイア会議の頃)から1000年ぐらい戻っていますので。(たぶん)8〜9度ぐらいのずれが発生し、太陽黄経00度が春分の日よりも8〜9日ほど後にやってくることになるわけです。
 
 日付なんていいかげんなものだな、と思います。グレゴリオ暦、ユリウス暦、どちらでもいいのですが、太陽黄経を併せて記載しておいてくれれば、間違えないし便利なのに。と思うのはアストロロジャーだけなのかもしれませんが。

秋月さやか

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